寺山修司への深い思いも 谷川さん死去
19日に訃報が伝えられた谷川俊太郎さんは、青森県弘前市生まれの詩人・劇作家寺山修司の才能をいち早く評価するとともに、友人として深く交流した。講演などでもたびたび青森県を訪れ、子どもから大人まで、県民に幅広く詩の魅力を伝えていた。 谷川さんは2015年9月、青森市浪岡でのイベントに招かれ来県。小中学生に詩作について分かりやすい言葉で語りかけていた。 来県の橋渡しをしたのは、長年交流を続けていた三沢市寺山修司記念館の佐々木英明館長(76)。「Tシャツで来て、Tシャツで帰っていく、それが谷川さん。あれだけの人なのに、こだわりがなく、もちろん偉ぶることもなかった」 イベントでは簡易椅子に座り、子どもたちの詩に耳を傾けては「音が面白い」「擬音語が多彩」などと喜んだ。「自分の持っているものを知っていて、それを皆と楽しむらんまんさがあった」と佐々木さんは振り返る。 寺山が主宰する演劇実験室「天井桟敷」に参加し、数々の舞台に立った佐々木さんは、寺山が亡くなった1983年に谷川さんと初めて関わった。イベント出演や詩の執筆などを依頼するたび、快く引き受けてくれたといい「青森と関わりを持とうとしてくれたのも、寺山に対する深い思いが根底にあったのかもしれない」と語った。 谷川さんの長男賢作さんと親しい県詩人連盟会長の藤田晴央さん(73)=弘前市=は1990年代、五所川原市で開かれた谷川さん親子の詩とピアノのコンサートに関わり、懇親会で谷川さんの隣に座った。「深い洞察力に裏打ちされた奥深い詩を紡ぐ詩人ながら、とても穏やかで壁を作らない人。同じ頃に銀座の映画館であいさつした際も『いつでも青森に行きますから』と笑顔で応じてくれた」と思い出を語った。 2004年には藤田さんが文芸誌に発表した「谷川俊太郎論」を読んだ本人から「自分も気に入っている作品を取り上げてくれてありがとう」と記したはがきが自宅に届き驚いたという。「これほど著名でも偉ぶらず、後の世代を励ましてくれる温かさに感激した。はがきとともに谷川さんの存在は私の創作の支え。喪失感はとても大きいが、作品はこれからも生き続け、われわれを見守ってくれると思う」と悼んだ。