あえて最下級の「二等兵」を選んだ2人の東大出身者 それぞれの「筋」と「意地」の通し方
同じように兵卒であることを選んだ東大出身者に、日本学生協会の指導者の一人だった近藤正人(まさんど)がいる。一高昭信会から東大文学部を経て運動に従事した近藤は、1944年の暮れ頃にマニラで戦死したと見られる。当時29歳、丸山の一つ下である。 近藤は、教育召集で見知らぬ上官から「おめえは本当によくやるな。感心な奴だ」と賞賛されるほど懸命に尽くし、除隊時には初年兵代表まで務めた。だが彼は、連隊長の勧めも聞かず幹部候補生を志願しなかった。一兵卒として戦い、戦死したのである(『続 いのち ささげて』)。 近藤が兵卒であり続けた理由は、おそらく丸山眞男のそれとは異なっている。近藤は、多くの名もなき兵士たちとともにある世界、彼自身の言葉を借りれば、「団体的協力の所産としての共感の世界」にとどまり続けることを選んだのだろうと思われる。エリートが真に国民大衆と和合するには、命がけの努力が必要ということかもしれない。 ※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。
尾原宏之(おはら・ひろゆき) 1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。著書に『大正大震災 忘却された断層』、『軍事と公論 明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男 丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』、『「反・東大」の思想史』など。 デイリー新潮編集部
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