水森かおり 演歌歌手を目指したキッカケはホームステイ
米国でのホームステイで弾けた歌手への未練
ところが、短大生として語学留学した米国で人生の転機を迎えることになる。 「米国のリバーサイドに留学して。そこでお世話になったホストファミリーに日本語の歌を聴かせたら、すごく喜んでくださって。その時に、自分の中でフタをしていた『歌手になりたい』という気持ちがパーンと弾けて。演歌歌手を目指すキッカケを与えてくれたホストファミリーには、今でも感謝しています。たぶん私の歌声よりも日本語に感動したのだと思うんですけど(笑)」 こうして米国でのホームステイをキッカケに演歌歌手を目指すことになった水森は、「友達が就職活動をしている時期に、私はオーディションを受ける日々で。演歌は子供の頃からよく歌っていましたし、歌手になるならやはり演歌を歌いたいと思っていました」と振り返る。
海外公演で歌を通じて日本の情景を伝えたい
そんな水森に20周年を迎えての新たな目標を聞いてみると、「今の状態をずっと続けていければいいなと思っています。それが目標であり、夢ですね。“現状維持”というのともちょっと違って、この世界は努力し続けなければあっという間に落ちてしまうので。けっして簡単なことではないし、常に崖っぷちに立っている気持ちでやっています。不安はいつも隣り合わせですね」と語る。そのうえで、こんな夢も明かす。 「海外公演は目標の一つにありますね。今は海外の方の間でも日本の文化にすごく理解がありますし、歌を通じて日本の情景とかを伝えられたらなと。米国のロスとか、サンフランシスコ、ブラジルとか日系の方が多い場所で、日本を離れて海外で頑張っていらっしゃるみなさんに故郷を思い出して頂けるような歌をお届けできたらいいなと思っています」 米国でのホームステイをキッカケに演歌歌手の道を歩みだした“ご当地ソングの女王”が、日本と海外の音楽の懸け橋になる日もそう遠くないかもしれない。 (文責/JAPAN芸能カルチャー研究所) ■水森かおり(みずもり・かおり)1973年8月31日、東京都出身。95年に『おしろい花』でデビュー。02年発売の『東尋坊』が注目を集めて、03年リリースの『鳥取砂丘』で「紅白」初出場を果たし、12年連続出場中。05年には『五能線』で日本レコード大賞最優秀歌唱賞、06年の『熊野古道』、07年の『ひとり薩摩路』で「ベストヒット歌謡祭」の演歌・歌謡曲部門で2年連続グランプリ、14年には『島根恋旅』で日本有線大賞の大賞を受賞。“ご当地ソングの女王”として名をはせる。