【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話027「ライブレポートの難しさ」
ライブレポートってのは難しい。「どんな原稿を書くべきか」…それによってライブ中に注力すべきポイントが変わるけど、どんなライブになるのか蓋を開かないと書くべきポイントが分からないのがライブレポでもあるから、そういう意味でも難しい。 ◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ ライブってのはアーティストとオーディエンスのエネルギー交流の場だから、お客さんがどういう役目を果たすかによっても、そのライブの動向や見える景色も変わる。ライブを彩る様々なストーリーは、受け手となる客席側から生まれることも珍しくない。コール&レスポンスやラウド系のモッシュ/サークルなどはその典型例のひとつでしょう。アーティストのことだけを追ってステージだけをガン見していても、あわせて会場全体を冷静に俯瞰する目線も持ち合わせていなければ、そのときの空気やエネルギーの濃密さなどは捉えきれない気がする。 ただ、これが「ライブレポの正解」というものはない。「理想的なレポのあり方」も「これが望ましいライブレポ」なんてものもない。とはいえ、数十年にわたり何度も何度もレポを書き重ねてきた中で、自分の中での注意ポイントも生まれたし、ルールや考え方の道筋も見えてきたことで、書くべきことが明瞭になり原稿を書くスピードも上がった。色んな情報が頭にゴチャついていても整理整頓に迷うこともなく、書くべきことを拾い上げ不要な情報はガサッと捨てる事ができるようになった。 あくまでマイルールなので、一般に転用できる考え方とは思っていないけど、誰かのヒントや何らかのモチーフになればいいと思い、私の思考の流れを書き出すことにした。 ■第1段階「事実を読み取る」 どんな曲をやったか。どんな様子だったか。お客さんはどういう反応だったか。それに対しアーティストはどういうリアクションだったか。熱量はどう変化していったか。どういう調子に見えたか。MCでは何を喋り、それによって何が起こったか。 要するに、事実をきちんと捉える。これらを冷静に押さえておけば、アーティストとオーディエンスとの距離感がどう変わっていったのか、つまりはどんなライブになったのかがより明確に見えてくる。例え同じセットリストでも、ツアー初日なのか最終日なのかによって景色が変わるけれど、上記のようなポイントをきちんと押さえておけば心配はない。 ■第2段階「自分がどう思ったか」 実はここに踏み込んでいくことがとても重要なポイントで、上記の事実を捉え、それに対して自分はどう思ったのかを自分に問うてみる。「カッコいい」と思ったのか、「おや、あの表情は何だ?」と引っかかったのか。「すごい盛り上がりだな」と感服したのか。「MCがいまいち聞き取れないな…」なのか。とにかくライブ中に起こった「事実」に対し、自分の心がどう反応したのかに思考を全振りする。 ここでは、全て自分の価値観や志向性に基づく形で「事実」から「解釈」にレイヤーを一段上げる作業になる。書き手の個性や感性が濃密に表れてくるので、他の誰でもないオリジナリティのあるレポ原稿を書き上げるための、大切な道筋だ。 ■第2.5段階「ファンはどう思ったのだろうか」 ここでは自分の考えからは一旦離れ、ライブ中の様々な事実・事象に対し「周りのみんなはどう思ったのだろうか」に意識をリセットする。もはや妄想の世界に過ぎないのだけれど、前段階では自分という「個」に全振りしたがゆえに、少なからず独断と偏見まみれになっている。自分で思った事実はブレずに保ちながらも、それがニュートラルな感覚であるのかを推し量る意味でも、この妄想タイムは非常に有効になる。「そういえば、想像以上に大きな拍手が上がったっけ」といった新事実に気付いたりすると、第2段階まででは得られなかった奥行きのある描写が生まれてきたりする。 ■第2.6段階「アーティストは何を思っているのだろうか」 そして、妄想タイム第二弾。ステージ上の演者たちは、何を思っていたのだろうか。その時どういう感情が渦巻いていたのだろう。あのリアクションは「喜び」というより「感動」と言えそうだな。その感動を与えた決定的なポイントは何だった?などと、事実に対しステージ上での機微に着目すれば、自分では気付きにくいステージ上での心模様が見え隠れしてくる。ステージングやアイコンタクト、ステージアクションなどには、メンバー間の阿吽の呼吸やライブならではの意思疎通が表れやすいことにも気付く。こちらも妄想だけれど、演者の動きや表情が根拠なので、あながち間違ってもいなかったりする。人間観察のようなものだ。 ■第3段階「そして、なぜそう思ったのか」 私が個人的に最も重要視するのは、この第3段階だ。先の「事実」に対し「自分がどう思ったか」「ファンがどう思ったか」「演者がどう思ったか」という第2段階で思考したことを、ここで客観視する。「なぜそう思ったのか」「なぜそう思わされたのか」を自分に問うことで、先の思考が取るに足らないことなのか、ただの自分の期待値だったのか、それとも本質に迫る要素だったのか、その答え合わせができる。 ライブで見たこと・感じたことを、目線を変えてみえ感情の文脈で理解する作業が第1~2段階だったのに対し、それらを「なぜそう思ったのだろうか」と反芻し、その理由を探ることで、ライブレポとして触れるべき要素の断片・原稿のパーツをふるいにかけることができる。言い方を変えると、神目線で俯瞰してみれば、不要・必要のジャッジが簡単になる。 ■最終段階「それがライブにどう影響を与えたのだろうか」 整理された「書くべき情報・断片」が「今回のライブをどう彩ったのか」を整理する。そこを整理すれば、もうそこにはライブレポの概要が見えている。今回のライブがそうであった事実が、なぜそうなったのかの考察とともに確からしさを伴って、原稿を書き進めることができる。オーディエンスが感動できた様子を、リアリティを失うことなくなんらかの根拠をもって綴ることができれば、それが、自分が書きたかったレポ原稿になる。 実際は、第1段階から最終段階までの観察や考察は、ほぼ同時進行でライブとともに進んでいくことになる。もちろん私の場合、メモは欠かせない。事実がどうだったかよりも、その時自分がどう思ったのかをメモっていく。「思った」という事実は強烈なインパクトから生じたものだから、メモさえ見ればライブの様子はすぐさまフラッシュバックするものだ。いくら記憶力のおぼつかない私でも。 ざっくり私の思考の流れは以上だ。このような経路をたどる最大の理由は、自分じゃないと書けない原稿を書きたいと思っていたから。「熱気は頂点に達した」とか「会場を笑顔に染め上げた」みたいな常套句を散りばめながらも、ただただ時間軸に沿って事実を列挙する原稿は、レポートではなく議事録だと思っているので、議事録を取るスキルさえあれば、誰にだって書けるレポだと思っている。わざわざそれをメディア人の自分が書くのは意味がない行為だと思っていた。 でも、年月を重ねるにつれ、考えも変わる。そういう議事録レポを求めているファンや読者もたくさんいるという事実も知ったから。早い話「お前の感想なんか聞いていない、それよりどんな様子だったのかを教えろや」というわけだ。当然ながらライブを観れなかったファンは、ライブを観れたファンの何倍も何十倍も何百倍もいて、熱烈なファンであればこそ、その事実をできるだけ細かく知りたいと切望する。丁寧に事象が列挙された議事録レポは、何より美味しいごちそうでもある。 正直言えば、筆の立つ複数のライターさんにそれぞれ自由にレポを書いてもらい、それに加えて丁寧な議事録レポも用意し、それらをメディアに並載するのが私の思う理想のレポ特集のかたち。どこに感動したか、何が素敵だったのかなんて、十人十色百人百色なんだから、たくさんの感想がいろんな目線で綴られるべきだよな、とも思ったりするわけです。 文◎BARKS 烏丸哲也
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