尼将軍・北条政子が小腹を満たした「かいもち」を再現レシピ
毎日元気に過ごすために、全体に欠かせないことの1つが食事! 源頼朝の妻・北条政子も、日々食事をとっていました。「教科書に登場する“あの”偉人はどんなご飯を食べていたんだろう?」という疑問を、彼らの好きだった食べ物からひも解いていきます。 ■「偉人メシ」ってなに? 「歴史は苦手!でも料理や食べることは大好き!」というキッズたち、教科書に登場する歴史上の人物たちが食べていたといわれる料理を作ってみませんか? 料理を監修してくれるのは、食事復元研究の第一人者で御年91歳ながら現役で大活躍中!食文化研究家の永山久夫先生! 「でも、偉人たちが食べていたご飯では、今のボクたちの味の好みとは合わないかも・・・」そんな不安を解決してくれるのは、人気料理研究家のきじまりゅうたさん! 令和版にアレンジした栄養満点&映える『偉人メシ』に、ぜひ親子でチャレンジしてみよう! 今回は、源頼朝の妻として鎌倉幕府の確立に尽力した北条政子です。彼女はいったいどんなご飯を食べていたんだろう? ■北条政子って、どんな偉人? 北条時政の長女として誕生、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻として二男二女(源頼家、源実朝、大姫、乙姫)をもうけ、幕府の成立と発展に献身的に尽くしました。頼朝の死後は出家(仏教の修行をすること)し、尼御台(あまみだい)と呼ばれ、その後、承久の乱に勝利、「尼将軍」として執権政治(しっけんせいじ・北条氏が執権の地位によって、幕府の実権を掌握した政治の体制)を揺るぎないものとしました。 ■政子の小腹を満たした一品「かいもち(そばがき)」 【材料】 そば粉:100g 水:200ml [A] 味噌:大さじ3 メープルシロップ:大さじ2 【作り方】 (1)Aを煮詰めて味噌ダレを作る。 (2)鍋にそば粉と水を入れてよく混ぜ、馴染んだら火にかける。 かき混ぜながら加熱し、色が変わってボテッとまとまったら火を止める。 (3)かいもち(そばがき)を器に盛り、味噌:適量をかける。 ■男勝りの政子が食した元気の源「かいもち」 北条政子(1157~1225)は、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻ですが、気性が激しく、頼朝も手を焼いていました。 一夫多妻制(1人の男性が多数の女性と暮らすこと)が珍しくない時代ではありましたが、夫の浮気を許す女性ではありませんでした。ところが、頼朝は浮気をしてしまうのです。それを知った政子は、浮気相手の屋敷に男どもを連れて行き、屋敷を叩き壊してしまったのです。 政子のエネルギー源は、坂東の荒くれ武士どもと同じく山盛りの玄米めし。これに味噌汁と焼いたイワシなどがつきます。そして欠かさなかったのが梅干し。酸味の強いクエン酸の味を好んでいたようです。 政子は男勝りの行動をすることが多く、筋肉に残る疲労物質を解消するうえで、梅干しに含まれるクエン酸が必要だったのです。頼朝はよく狩りをしていて、シカなどの肉を台所に運んでおり、一緒になって煮たり焼いたりして、舌鼓を打っていました。 動物性タンパク質にはロイシンという必須アミノ酸が多く、筋肉を強くしたり免疫力を充実させるうえで、大いに役に立ちます。肉食が、政子の激しい気性をさらに強くする効果となったのは間違いないと思います。 また、小腹がすくと、よく食べていたのが「かいもち」でした。弱火にかけた鉄鍋で、そば粉を水で練ってかいもち状にして焼いたものを、味噌につけて食べるのです。素朴でかすかな甘みがあり、ねっとりしていて美味です。 そばには血管を丈夫にするルチンが多く含まれ、長寿効果があり、ビタミンB1も多く、元気が出るのです。 夫の死後は幕府を守るために先頭に立ち、尼将軍と呼ばれるほどの大活躍を見せ、朝廷軍と戦った承久の乱(1221)でも活躍し、大勝利を収めています。 政子は当時としては長命で、69歳で頼朝の元へと旅立っていきました。 「歴史人」2022年11月号より 監修/永山久夫 ながやま ひさお/1932年福島県生まれ。食文化史研究家。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や健脳食の研究も行う。新聞や雑誌、テレビなどでも活躍中。 料理監修/きじまりゅうた きじま りゅうた/1981年東京都生まれ。料理研究家一家の三代目。男性のリアルな視点から家庭料理を提案している。NHK「きじまりゅうたの小腹すいてませんか?」を始め、 テレビや雑誌等を中心に活躍中。
永山久夫