現在進行形で進む核被害 原発避難の当事者が訴えた「権利」とは
「核」を巡る問題に人類はどう向き合うのか。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞決定は、現在進行形の核被害を改めて直視する機会ではないか。 【写真まとめ】毎日新聞記者が撮った 原爆投下1カ月の広島 日本列島を興奮させた平和賞発表から3日後の10月14日、大阪府茨木市内で核をテーマにした映画の上映会があった。 ドキュメンタリー映画監督の伊東英朗さんが手がけた「サイレントフォールアウト」(2023年、76分)。米国が国内で繰り返した核実験による放射能汚染と政府による隠蔽(いんぺい)、それに抗した母親たちの行動を証言や資料を基に丹念に追った。映画のサイトは「アメリカ史上最も重大で、最も知られていない事実」とうたい、原爆投下国の米国で大勢の核被害者が苦しんでいる実態を告発する。 上映会は地元の実行委員会が主催し、平和賞の発表直後だったこともあってか会場は満席だった。作品上映に続いて講演したのが、東京電力福島第1原発事故後(11年3月)に福島県郡山市から大阪市に母子で避難している森松明希子(あきこ)さんだ。原発賠償関西訴訟の原告団代表で、18年3月にはスイス・ジュネーブの国連人権理事会でスピーチした。 森松さんが強調したのは「核被害を受けない権利。被ばくから自由になる権利」。放射性降下物を意味する「フォールアウト」は、米国の水爆実験による第五福竜丸事件(1954年)を機に「死の灰」として広まった。郡山市は政府が指定した避難指示区域には入らなかった。森松さんは13年に及ぶ「自主避難」の実情を語り、「戦争被爆国の日本は被ばくに対する意識が高いと思われている。でも、避難者が非難される風潮があり、『風評被害をあおるな』と言われるが、その言葉が実際の被害をぼんやりとさせている」と語気を強めた。 核被害は戦争で核兵器が使われた場合のみに生じるわけではない。広島の被爆者で日本被団協の理事長などを務めた哲学者の森滝市郎氏(元広島大名誉教授、94年に92歳で死去)は「核と人類は共存できない」という言葉を残した。 日本被団協の結成宣言(56年8月)は「原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向(むか)わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願い」と核の平和利用を肯定していた。その草案を書いた森滝氏は「穴にはいりたいほど恥(はずか)しい空想」(『核絶対否定への歩み』、94年)と後年に核利用のサイクルを断ち切る姿勢に転じ、反核運動を先導した。 今回のノーベル平和賞は核兵器廃絶への貢献が理由だが、核被害は現実にあるグローバルな問題だ。福島の事故処理が続く中、日本政府は原発の最大限活用に方針転換している。「世界中の核被害者の方々とつながっていきたい」。森松さんの訴えに来場者から拍手が起きた。 ◇ 「サイレントフォールアウト」は各地で上映会が企画されている。14日には神戸市で、17日は奈良市で一般公開の上映会があり、伊東監督も登壇予定。詳細は映画のサイト(https://fallout22.com/schedule/)。【宇城昇】