「勝手に作り始めた」…80年代の「傑作映画」がじつは「内田裕也」の大暴走で出来上がった衝撃秘話
「僕にかまわず勝手に映画を作り始めた」
それで行きました。四方山話のあと、「どんな映画をやりたいんですか」と訊くと、「映画屋にそんな簡単に教えられっかよ。ゴジ(長谷川和彦監督)とかはよぉ、すぐ俺のアイデアを持ってこうとしやがる。映画屋にはすぐに話せねぇ」って言うんです。じゃ、今日、俺を何のために呼んだんだ。 そのとき、たまたま脚本家の高木(功)君と、他人の不幸に平気で土足で踏みこんでいくレポーターの脚本を考えていたんですね。『タイム・アバンチュール 絶頂5秒前』(86年)の前のロマン・ポルノの企画で。裕也さんと何回か会ううちに、「レポーターの映画をやりたい」と聞いて、「面白いじゃないですか。ちょうど僕も同じことを考えてた」とすぐにノッたんです。 ――それまでも滝田さんは、『痴漢電車 百恵のお尻』(83年)の山口百恵の復帰騒動、『痴漢電車 ちんちん発車』(84年)のロス疑惑(輸入雑貨商「二浦義和」(長友達也)が暴漢に襲われた事件に「週刊立春」が疑惑を抱く)などの“時事ネタ”を織りこんだピンク映画を撮っていますね。 滝田 そう。これらは高木功がいたからできた。高木は38歳で早逝しましたが、ジャズとミステリーに精通した素晴らしいライターでした。彼は大阪で葬式のナレーションを書く仕事をしていて、脚本を書くときだけ、新幹線代を僕と折半して上京。僕の6畳・風呂なしのアパートで一緒に脚本を書きました。 ――それで、内田裕也が「滝田監督でレポーターの映画を」と岡田さんに売りこんだんですね? 岡田 そんなちゃんとしたことじゃなかったな。裕也さんが知らないうちにNCP(映画制作プロダクション)に入りこんできて、僕にかまわず勝手に映画を作り始めた。 内田裕也の暴走はまだまだ止まらない…! 『郷ひろみに三浦和義…内田裕也が「ブチ切れた」末に「鬼電」して実現させた「奇跡のキャスティング」 』へ続く
伊藤 彰彦(映画史家)