インドでも「MeToo」をきっかけに社会が動いた――映画『花嫁はどこへ?』監督が語る女性の地位向上のために必要なこと
インドでも「MeToo」をきっかけに社会が動いた
――日本からすると、『花嫁はどこへ? 』のような海外映画を観ることも含め、海外の女性たちの現状を知ることがフェミニズムを知るためにも重要だと思いますが、監督は、どのようなことに関心を持たれてきましたか? 私のいる映画業界から見ても、2018年に起こった「MeToo」のムーブメントは見逃せませんでした。インドでもこのムーブメントの影響を受けて、職場でのセクシャルハラスメントのためのガイドラインが作られたり、それを守るためのコミッションが立ち上がりました。 そういった動きはとても喜ばしいものでしたし、映画業界でも、このままで十分というわけではない、引き続き必要なことだと意識しました。このムーブメントは世界中の女性たちに影響を与えたのではないかと思います。 インドでも、力を持った男性が女性を排除しようとすることは、エンタメ業界でもありました。 ただ、まだ過渡期であると思います。すべてがよくなったというわけではないけれど、こういったことがオープンに明示されて、これからより建設的に、良い方向にもってくことができればと思いますし。傷を負った人たちが、その傷について明示できるようになったり、話し合ったりすることができるようになったということが、まずは大きな変革だと思います。 ――日本で考えると、「MeToo」のムーブメントなどに対して、賛同する人が増えている一方で、反発もまだまだ存在します。この映画に対してのそのような反応はありましたか? 幸い、この映画に関して言うならば、マンジュおばさんの役柄に対しての評価が高かったということもあって、好意的に受け入れてもらっていますね。それは、彼女の役柄がユーモラスであったことも上手く作用して、家父長制を重んじる人から攻撃されたりということはありませんでした。でも、なんらかの利権が絡んだり、これまで権力を持っていた人たちの立場が脅かされると感じた場合は、もっと反発が起こるのではないかとも思います。 スポーツにしてもエンターテイメントにしても、女性は攻撃されるのではないかという不安を抱いてしまうことはあると思うんですね。でも、そういうときにこそ女性が連帯をすること、声をあげること、勇気をもって声をあげた人を支えていくことが重要ですね。ただ、こうしたことを語れるようになったことは、前進だとも思っています。 キラン・ラオ 1973年ハイデラバード生まれ。19歳でムンバイに移住。ソフィア女子大学を卒業後、ジャミア・ミリア・イスラミア大学で修士号取得。2010年の『ムンバイ・ダイアリーズ』で監督デビュー。
西森路代