<私の恩人>五木ひろしを“ヒットの鬼”にした仕掛け人
歌手・五木ひろしさん(65)は来年、歌手生活50周年を迎えます。「松山まさる」としてデビューし、「一条英一」、「三谷謙」と芸名を変えたもののヒットに恵まれず、不遇の時代を経験しました。すべてを賭(と)した「全日本歌謡選手権」(日本テレビ系)で10週勝ち抜きを達成。1971年、「五木ひろし」として出した曲『よこはま・たそがれ』が大ヒットし、NHK「紅白歌合戦」にも初出場しました。人生を変えた曲、そして、その曲を生み出した人への感謝の思いは時を経ても色あせることはありません。 男には、勝負をしないといけない場面が何回かあると思うんです。僕にとって、それは間違いなく「全日本歌謡選手権」でした。 65年に松山まさるとしてデビューし、芸名を変えて心機一転を図るも、ヒット曲に恵まれない時代が続きました。 考えた結果、出場を決めたのが「全日本歌謡選手権」。この番組はプロもアマも出場するオーディション番組で、僕はすでにデビューはしてましたから、当然プロの立場で出ることになります。10週勝ち抜けば華々しく再デビューできますが、もし負けたら、最後通牒を突き付けられることにもなります。 当時は、夜にクラブのお客さんの前で歌ったりして、正直、生活自体はできていたんです。ただ、自分が本当にやりたかったことを目指すには、戦いの場に出て、勝つしかない。クラブで歌う仕事はすべて辞めて、退路を断って臨みました。本当に、本当に、絶対に負けられない戦い。これでダメなら、歌手生命はもちろん、本当の命まで終わる覚悟で歌いました。 先日、あるお店に行った時に、たまたまそこのご主人が、10週勝ち抜きしたすべての番組音源を残してらっしゃったんです。 久しぶりに音を聴きましたが、自分でいうのはおかしな話なんですけど、そりゃ、もうね、…うまい!!(笑)。“歌声に魂がこもってる”なんて話をよく耳にしますが、まさに、魂がありました。もし、今、目の前にあんな歌手が現れたら、一も二もなく、スカウトします(笑)。