市原隼人、役者歴25年の“今の心境”は「手探りのような状態」「答えを求めれば求めるほど…」
この作品、主人公には本当にたくさん救われた
――俳優のキャリアが25年「しか」と表現されるのは、とても謙虚ですね。今仕事に対してどういう想いで取り組まれているのですか? 市原:今は壁打ちのような状態です。正解がない世界ですので、答えを求めれば求めるほど、答えが逃げていくような世界でもある。とにかく毎日毎日、真っ暗な泥の中に手をつっこみ、なんとか夢をつかめないか、手探りのような状態。その中でも自分が信じられるものを持ち続けていたいんです。 歩いて泣いて走って笑って、誰でも出来ることを僕らはやっている。それでお金をいただくなんて……と、感じたこともありました。だからこそ、情熱を込めなくてはいけない。より作品に愛情を持ち、その根源を見つめて、本気で泣いて本気で笑って、本気で悔しがれる心を持つ。それはお客様のためであり、そのためにすべてを尽くさなければいけないと感じてからは、またガラッと役者という職業に対しての想いは変りましたね。 ――ちょうど5年くらい前にこのシリーズが始まるわけですが、その想いはすべてこのシリーズに投影されているのではないでしょうか。 市原:そうなんです。『おいしい給食』という作品は、制作する人間すべての夢なんです。根底はコメディーですが、社会派であり、しっかりとしたメッセージがあり、僕はこの作品にも、自分が演じる甘利田幸男という男にも、本当にたくさん救われています。それをひとりでも多くのお客様にも感じていただいて、人生を楽しむ気持ちを忘れないでいただきたいです。
「いろいろなものが濁ってくるけれど…」
――生徒という形でたくさんの後進の俳優さんも出ているので、先生と生徒、先輩と後輩という似たような関係性で、自ら範を垂れている側面もあるかと思いますが、いかがでしょうか? 市原:何が正解かは分からないです。僕の気持ちとしては、ふがいないことも理不尽なこともたくさんある世界であり、この芝居をやっている25年間の中でも、たくさんいろいろな想いをして来ましたから。 いろいろなものが濁ってくるけれど、それをろ過することはもっと大変なこと。重複しますが、泥水の中に手をつっこみ、なんとしても夢を持ち上げて来るのだという想いを忘れずにと、結局は自分との戦いということなのですが。 この作品でも、甘利田先生はシンプルだけれど、世の中はシンプルじゃないというセリフが出て来るのですが、だからこそシンプルな想いを忘れずにいたいんです。それぞれの部署が集まり、違う会社が集まるなか、それぞれの理念がぶつかり合うものですが、どこかで存在意義というか、みんなが集まってひとつのものを作る存在意義を証明したいんです。