虎のソナタ 復活ロード歩む湯浅に故郷からエール 後援会有志が三重・尾鷲市にイラスト画寄贈
1992年秋のドラフト会議へ向かう阪神監督・中村勝広は、飛行機が嫌いだからキャンプ地・安芸から特急、新幹線を乗り継いで東京へ向かった。が、故障が発生して東海道新幹線が全線ストップ。中村監督を乗せた新幹線が止まったのは、邨田が立ち往生したのと同じ名古屋駅ホーム。何と8時間も動かなかった。
翌日のドラフト。1位指名が競合してのクジ引き。2枚残ったクジの下を引いたのが中村監督。残ったクジは巨人監督・長嶋茂雄がその手に。当たったのは巨人。ゲットしたのは、あの松井秀喜(のちにヤンキースなど)の指名権だった。
「下(新幹線)で移動して大失敗したのに、なぜ下のクジを引いた!」
世間は大バッシング。もし、あの時、上を引いていたら、松井は阪神入団! タラレバは禁物だが、そう言いたくもなるドラマだった。移動のトラブルにも歴史が詰まっています。