愛するもの同士が性別に関係なく祝福される世界を求めて 石川大我さん
就任直後、セクシュアルマイノリティー人権の記載を実現
これまでにも議員として数々の実績をあげてきた石川さん。中でも印象深いのは就任直後の11年、自身の発案により、豊島区の男女共同参画基本計画改訂の際にセクシュアルマイノリティー人権の記載が実現できたことだという。この改訂により、豊島区におけるセクシュアルマイノリティーへ向けた様々な取り組みの予算編成が可能になり、その後の議員活動における基盤を作ることになった。 「(元参議院議員の)山内徳信さんの言葉に『地方は末端にあらず、先端だ』があります。豊島区であれば33人の議員達がみんなお互いの名前や顔を知っている中で膝を突き合わせて話をすることができます。もちろん楽なことばかりではありませんが、国で政治的少数派として否決されてしまう政策も、区の条例であれば可決しやすいという現実はあります。渋谷区や世田谷区の同性パートナーシップ制度は、その分かりやすい例ですね」
ゲイだと気づいた思春期、ネットで出会えた同じ境遇の仲間たち
東京生まれの下町育ち。思春期を迎えた若者はゲイであることに気がつき、誰にも言えず沈んだ日々を過ごしていた。そんな悶々とした気持ちを抱えたまま、大学に進学をする。学び舎の中で連呼される、法の下の平等や幸福追求権。法律を学ぶ彼の身にも、現在の日本国憲法が、少数派である自身が幸福を追求するには不十分すぎることはよく分かっていた。 そんな中、25歳になり初めて実家に置かれたパソコン、そしてインターネットの世界が彼の人生を変えることになる。家族が寝静まった後にキーボードで打った”同性愛”の文字。検索した画面上には、自分と同じような苦労を重ねてきたゲイたちの心の叫びが並んでいた。そんな彼らとコンタクトを取り、実際に会い、お互いのこれまでについて語りあったりもした。 「まるで人生がオーバーラップするような感覚で、そこにはもう一人の自分が座しているようでした」と石川さんは当時を振り返る。
勇気を出して一歩踏み出した先にあったもの
そんな仲間達に出会った翌年、同性愛者によって運営される団体『すこたん企画』に参加することが決まった。持ち前の社交性やスピーチ能力を生かし、団体と共に全国を講演してまわる日々が続いた。 「あなたはゲイなのに、なぜ女の子みたいに喋らないの?」 講演会場で聞く何気ない言葉で、世間にゲイの実像が意外なほど知られていないと感じた。ありふれたゲイの生の声こそが、もっと伝わるべきなのではないか。そう感じた石川さんは、文章を書き進めた。自身初の著書となる『ボクの彼氏はどこにいる』の誕生だ。 半生をつづった著書の出版は、本名で出すことを決めた。それに先駆け、両親にも自分がゲイだと伝えた。終始鷹揚な母と寡黙な父、受け止め方に差こそあったものの、二人は彼を受けとめた。 「僕自身もそうでしたが、マイノリティーになると自分のからに閉じこもって、社会は自分を受け入れてくれないのではと思いがちです。しかし世の中は広く、どこかに自分と同じような思考を持った人が必ずいます。勇気を出して一歩踏み出すと、今までと全く違った未来が待っているということは、間違いないと思います」 愛するもの同士が性別に関係なく祝福される世界。多様な価値観を互いに尊重し合える世界。そういうのはまだまだ理想論なのかもしれない。しかし理想を掲げて自分が変わらなくては世界は変わらない。石川さんはそう考えている。 (取材・文・撮影/ 藤元敬二) (注1※) 2015年4月1日、日本で初めて東京都渋谷区で「同性パートナーシップ条例」が施行された。 これにより区内に暮らす同性カップルに「結婚に相当する関係」を認め、証明書が発行されるようになった。同年11月、世田谷区でも類似する『パートナーシップ宣誓書』の発行が始まった。 (注2※)「すこたん企画」= 同性愛に関する正確な知識や情報、そして同性愛者のおかれている現実を、当事者および社会に伝え、今までの「常識」にしばられない、新しいライフスタイルをつくる事業をしている団体。 (注3※)「ピアフレンズ」 LGBTを対象に、イベントの主催や運営を通して、友だちづくりの最初の一歩を後押しするNPO法人。