倉田真由美さん、闘病中の夫からたった一度だけ「愛している」と告げられた日を回想する
倉田真由美さんの夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さん(享年56)は、すい臓がんで闘病していたとき、「ありがとう」「ごめん」と言うようになていった。夫と過ごした最期の日々の中で、もう一つ、印象深い言葉があるという。 【画像】叶井俊太郎さん、自転車に乗る幼い娘に寄り添う姿
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。お笑い芸人マッハスピード豪速球のさかまきさん原作の介護がテーマの漫画『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)ほか著書多数。 夫の叶井俊太郎さんとのエピソードを描いたコミック『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』 『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』は現在Amazonで無料で公開中。
そんなこと言わなくていいのに…
生前、元気な頃の夫は言わなかった言葉、前回は「ごめん」のことを書きましたが、今回は「ありがとう」ともう一つ、初めて言われたことを書きます。 30kgほども体重が減り、体力も落ちてしまった23年秋頃から、夫は時折私に感謝の意を伝えることがありました。手足を揉んであげたりした時に、 「ありがとな」 呟くように、それまで聞いたこともなかった言葉を口にする夫に、私はいつも戸惑い悲しくなりました。感謝なんか、いらないのに。病気で夫が変わってしまったことを目の当たりにするようで、つらくなるばかりでした。 「そんなこと言わなくていいんだよ。気にしないで、何でも頼んで」 つい、いつもこう返してしまったものですが、「うん」「こちらこそありがとう」と、素直に受け止めればよかったのかもしれません。どちらが夫の負担にならなかったか、今でも答えを出せないでいます。
夫に言われた最初で最後の言葉
そしてもう一つ、忘れられないやり取りがあります。 時期はいつだったか、23年の夏か、秋か。夜、いつものように座椅子に座った夫の肩揉みをしている時だったと思います。 「やっぱり一番愛しているのはママ(私)だな」 夫が唐突に言いました。「愛してる」なんて、結婚前や新婚の頃だって言われたことありません。 「え、どうしたのいきなり」 「いろいろ過去も思い出してさ。ママが一番だって」 しかしすぐに、夫はこう続けました。 「いや、やっぱりココ(娘)が一番だな。ママは二番」 それを聞いて私は少しホッとしたような気持ちで、 「うん、そうだよね。それでいいんだよ」 と答えました。 夫は娘が一番。ずっとそうだったし、そのままでいい。そのままでいてほしい。 以降最期まで、夫は「愛してる」と口にすることはありませんでした。 夫に言われた最初で最後の「愛してる」。 敢えて言葉にしなくても構わなかったんですが、夫らしくないことを言いたくなったらしいあの瞬間、ほんの短いやり取りは印象色濃く私の中に残ります。