「NSK」日本少女歌劇座を知ってますか、戦前~戦後に奈良・大和郡山拠点に活動…台本発見、公演再現へ
奈良県大和郡山市を拠点に、戦前から戦後にかけて全国を巡り人気を集めた少女歌劇団がある。「ローカルアイドルの元祖」といわれる大衆芸能の花形として華やかな舞台を繰り広げたそのグループの名は、「日本少女歌劇座」。当時の活動を再現しようと大学教授が台本を発見、解読し、公演を再構築する取り組みを進めている。(河部啓介) 【写真】日本少女歌劇座の公演の様子が分かる資料=鵜飼教授提供 日本少女歌劇座は1921年頃、宝塚少女歌劇(現・宝塚歌劇団)の影響を受け、大阪府東大阪市で誕生したとみられる。その後、郡山町(当時)の「島興行社」が運営を担った。「NSK」「ニッショウ」の愛称で親しまれた。
35年頃、宮崎市にも拠点を広げ、1年かけて全国の劇場などを巡る独特の公演スタイルをとった。10~20歳代の地方出身の女性たちと、楽団など計約50人で移動していたという。メンバーの出身地では「郷土訪問公演」を開き、ご当地感を演出。第2次大戦前~戦中には、朝鮮や満州(現中国東北部)にも赴き、57年頃まで活動を続けたことが確認されているが、その後の解散時期は分かっていない。 研究をしているのは、京都文教大(京都府宇治市)の鵜飼正樹教授(社会学)。500点以上の絵はがきやプログラム、「ヴァラエテー夏のおどり十五景」「大レヴュウ東洋一周」などの演目名が躍る華やかなデザインのチラシといった関連資料を収集しているほか、2017年頃からは宮崎市を訪れ、当時の劇団員数人とも面会した。
早稲田大演劇博物館(東京)では、11冊の台本を発見。少しずつ解読を進めている。そのうちの1冊、「グランドレヴュー 祖国 第一編 生きてゐた英霊」は、1947年に上演された。戦争で亡くなったはずの人が復員し、新しい日本を作っていくというストーリーだ。 23日午後に大和郡山市のDMG MORIやまと郡山城ホールで開く公演では、その最終場面「十二景」で出演者が舞台に立ち「晴れた瞳に笑顔と笑顔~」から始まる歌を披露する。メロディーは、メンバーだった女性が記憶していたものを基に再構築。県内のダンス教室に通う生徒らが当時の資料を基に制作した衣装や振り付けで公演に臨む。
鵜飼教授は「大和郡山の人たちにも歌劇座の活動を知ってもらい、文化を地方に届けていた存在の意義について考えてもらう機会にしたい」としている。 上演に合わせて、鵜飼教授が歌劇座の活動期間中の演目を振り返る講演も行われるが、既に公演鑑賞は希望者が定員に達している。問い合わせは市立図書館(0743・55・6600)。