あのナイチンゲールは実はメチャクチャ激しかった! 苛烈極まる「看護道」からケアのあり方を学ぶ
時に石を投げ、時に軍の物資を強奪する黒衣の天使。そんなかつてないフローレンス・ナイチンゲールと出会えるのが評伝『超人ナイチンゲール』だ。使命に突き動かされるように、苛烈(かれつ)に看護の道を切り開いた彼女の生きざまを知ると、現代を生きる私たちも胸が熱くなる。著者の栗原康氏に話を聞いた。 【書影】『超人ナイチンゲール』 * * * ――多くの読者にとっては斬新なナイチンゲール像が提示されていますね。これは早い段階から構想していたのでしょうか? 栗原 本を書くにあたって最初に読んだのは、女性の自立をテーマにしたナイチンゲール伝でした。そこでは、クリミア戦争時に彼女が傷病者のために物資強奪をしたことも書かれていて、印象が変わりました。 そこから、ナイチンゲール自身が書いたものを読んでいくうちに、強奪という行為は彼女にとっての「ケア」にもつながると理解できました。本では「憑依(ひょうい)」という書き方もしています。 他者に没入することで、自分では抱かない感情を抱くようになる。相手を助けたいと思ったら、自分を投げ捨てちゃう。彼女にとっては強奪もケアなんです。 ――本書を書くにあたって、意識した切り口はありますか? 栗原 ふたつあります。ひとつは女性解放。ナイチンゲールは自伝的小説『カサンドラ』を書いています。ナイチンゲールは24歳で看護師になろうと思うけど、汚らしい仕事と言われて親に反対される。 好きになった男性もいたけど、どんなにいい相手でも女性は嫁げば自分の好きな道を選べない。そんな境遇を主人公カサンドラに重ねます。彼女は死に際に、予言者のように「次のキリストはおそらく女性だろう」と言います。 この姿勢は、日本のアナキストの伊藤野枝ともつながります。伊藤は家父長制という名の奴隷制を壊そうとした。こうしたアナキズム的な視点から、ナイチンゲールを描けると思いました。
――もうひとつは? 栗原 コロナ禍で気づいたケアの重要性ですね。いざというときに政府は何もしてくれないと感じた頃、身近な人や知らない人同士が助け合っていましたよね。僕の周りでもコロナに感染した友達宛てに、誰が一番喜ばれる物を送れるか、という動きがありました。 アナキズムの考え方に「相互扶助」というものがあります。わかりやすい例は「Black Lives Matter」のときのアメリカ。経済も行政も止まり、みんな困っている。 すると誰かが公園に食料を持ってくる。食料が欲しい人が集まる。気づけば、食料だけじゃなく医薬品を配るブースや、無料診療所までできている。交換の論理ではなく「ギブ&ギブ」「テイク&テイク」。 いろんな人が渾然(こんぜん)一体となって自律的に助け合う空間を見たとき、人間の生きる力を感じました。そこで、アナキズムとケアをかけ合わせて考えてみたいと思っていたとき、本シリーズ〈ケアをひらく〉の依頼が来たんです。 ――書名の「超人」の意味は? 栗原 始め担当編集者は『キン肉マン』の超人だと思ったそうですが、由来はニーチェです(笑)。この言葉の解釈はいろいろですが、本書では「近代的個人を飛び越える人」という意味。近代的人間は、将来の自分の利益を考え、合理的に計算して生きます。 でも、自己利益だけ考えていたら、戦地や感染症で大勢死ぬ場所にわざわざ飛び込めませんよね。でも、ナイチンゲールはできる。まさしく「超人」なんです。 ――彼女はどういった看護観を持っていたのでしょうか? 栗原 彼女は「救う側」と「救われる側」を明確に分けてはいませんでした。これは、近代的な看護の考え方から外れる発想です。近代的な医療では、専門家の医者・看護師だけが病の原因や治療法を知っていて、患者を一方的に治します。看護する側と、看護される側が切り離されている。 でも、ナイチンゲールはそうではありませんでした。彼女はひとりで2000人をみとったといわれています。死に際に希望を聞いて、家族への手紙の執筆や送金を代行したり、「誰ひとり孤独には死なせない」と寄り添った。彼女は患者と同化していたんです。 ――神秘主義者としての側面も描かれる一方、統計学を用いて国に医療体制の改善を提案するなど、ナイチンゲールには科学的な面もありますね。