言葉の「呪術」性はどこから来たのか...育児=「見ている対象に同一化すること」から考える
<ウクライナやパレスチナで戦争が起き、憎悪の波が世界中を襲う今だからこそ、愛に基づく越境を試みる人間の有り様を信じたい...WEBアステイオン>【千葉一幹(大東文化大学教授・文芸評論家)】
萩原朔太郎が「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背廣をきて/きままなる旅にいでてみん。」(「旅上」『純情小曲集』1925所収)と詠ってから百年近い歳月が流れている。 【写真】ペルーの新200ソル札になった日系2世の女性画家、ティルサ・ツチヤ この時の経過は、渡仏を遥かに容易なものに、換言すれば「きままなる旅」の目的地としてフランスを選ぶことを可能にした。そのことは、長木誠司による『アステイオン』99号特集「境界を往還する芸術家たち」の巻頭論文「ヨーロッパで活動する日本人音楽家」に記された、海外で活躍する多くの日本音楽家の様子に端的に示されているだろう。 交通手段の発達そして日本経済の発展が、こうした越境を容易なものにした。しかし、科学技術や経済という下部構造の変動に由らずとも、人は、想像力により、何より言葉の力によって、自身がいる現実から飛翔し、異境の地へと赴くことができる。 上野誠+ピーター・J・マクミラン+張競による鼎談「境界を往還する万葉集」でマクミランや上野が指摘する『万葉集』の持つ呪術性こそ、言語によって人が現実から飛翔する力を指し示すものだと言えよう。 上野は『万葉集』における「見れば見ゆ(見たら見えた)」という型の国見歌は、現実の風景が歌に描かれたものと異なるもの、時にそれは正反対の景色であっても、歌に詠み込まれるとその情景が実現への過程を歩み始める、そういう力を持っていると言う。 歌は、言葉は、人を現実から、それがどんなに悲惨なものであっても、「美しい」世界へと舞い上がらせる力を帯びている。 テクノロジーや経済力といった「物理的」力に由らずとも、人には越境が可能であったとすれば、百年ほど前の朔太郎とて、「新しい背廣を着」ることで眼前の日本の景色をフランスのものへと転換し、越境を果たしていたとも言える。 ならば、こうした言葉の力、鼎談において張たちが語る言語の「呪術」性はどこからもたらされたのだろうか。 三浦雅士は、本特集で個人的には最も読み応えがあった論考「越境とは何か」において、「越境とはほんらいの自己という他者への越境であり、それこそ人類の特性」で、「人類が直立した瞬間は、そのまま越境の瞬間であった」と指摘する。 では、自己が他者であるとはいかなる事態なのか。三浦は、育児という行為に着目する。 育児とは、「見ている対象に同一化すること」つまり子は親に同一化するというのだ。そして、子に「相手」すなわち親の「眼が見ているものこそ自分なのだ」と気付かせることに育児の本質を見出す。 三浦はさらに「自己が一個の他者であること」と「相手の身になることができる」ことは「同一の事態の表裏」だとする。親は子どもに同化しまた子も親に同一化するという往還運動を繰り返す中で自己を形成していく。この往還運動を支えるのが、自己の対象化を可能にする、自己を高みから見つめる俯瞰する視点の獲得だと言う。 この辺りは、三浦自身が『孤独の発明』 (2018)でも展開した議論だが、同時にフロイトが『夢判断』(1900)で提示した、幼児期子どもが体験した高い高いの体験の記憶に基づくものだとされた飛行の夢の分析、さらにはこのフロイトの説をエレガントかつユーモラスに発展させた新宮一成の解釈(『夢分析』 2000年)を想起させて興味深い。 三浦は子育てにおいては、もう一つ重要な契機があるとする。見つめ合いである。動物においてはしばしば敵意を示す行為として現象する目と目が合う瞬間(眼つけ!)が、育児においては愛情を表す振る舞いへと変貌する。 三浦は、『批評という鬱』(2001)において宮沢賢治の、岩手の伝統芸能である鹿踊りの起源を描いた「鹿踊りのはじまり」(『注文の多い料理店』1924所収)を取り上げ、この作品が感動的なのは、主人公の嘉十と鹿との交感を描いた点にあるとする。そして鹿の模倣は、鹿との交感の後に現れるものだと三浦は言う。 嘉十は、鹿の言葉を理解し鹿たちの踊りの輪に加わろうとするも結局鹿には逃げられてしまう。にもかかわらず、この話が鹿踊りの起源譚であるのは、嘉十と鹿との間の交感がその起点にあり、そこから人による鹿の模倣が始まったということを示唆しているからなのだ。 このことを育児に当てはめれば、子どもと親との間での見つめ合いを通じた交感つまり愛情が生まれ、その後、子による模倣つまり越境が始まるということになる。 上野やマクミランが指摘した「見れば見ゆ」型の国見歌も、その風土への愛着が発端にあることになる。それはこの鼎談の最後で上野が、百人一首にも取られた持統天皇の「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」を取り上げ、この歌は、天の香具山に白妙の衣が干されているのではなく、天の香具山が白妙の衣を干しているという意味だと述べたことにも当てはまるだろう。 天の香具山を目の当たりにした持統天皇は、天の香具山と交感し、それになりきっていた。「鹿踊りのはじまり」の嘉十が鹿の言葉を理解しそれを模したように。 ところで三浦は、先に触れた『孤独の発明』において、俯瞰する視点すなわち第三の視点の成立が「私」という現象の登場と相即すると指摘する。そしてこの「私」の登場が人間の抱く孤独へとつながっていくとする。三浦のこの議論に私は違和感を覚える。どこか独我論のにおいを感じてしまうのだ。 育児における見つめ合いが重要であることに異論はない。では、人間と同様に育児する哺乳動物や鳥類と人間の間に差異はどう説明するのか。なぜ、人間のみが言語を持ち、社会生活を営むのか。私は、人間の育児には、哺乳動物や鳥類にはない契機があると思う。 人は、愛する者に視線を注ぐだけではない。母は胸に抱いたわが子に視線を注ぎつつやがてそこから視線をそらし別のものへと目をさし向ける。子どもは、自身からそらされた視線を追いかけるだろう。やがて子どもも、愛する母から目をそらし、外界の事物に視線を差し向ける。 そのとき子は、指さし行動を通じて、母の視線を自身が目を向けたものへの誘う。認知心理学では、これをジョイント・アテンションすなわち共同注視という。生後8カ月あまりの子どもが示し始める指さし行動、そしてそれにより引き起こされる共同注視。この同じものを見る体験を通じ、子どもと親たちは共通の体験を蓄積していく。 視線の共有を通じた体験の蓄積にこそ人間性、言語と社会の起源があるのではないか。人は愛する者の視線を求めるだけでなく、愛する者に自分が好むものを見てもらいたいと思うのだ。 持統天皇が、香具山を見てそれに同化した歌を詠んだのは、単に彼女が香具山と交感し一体化した体験があったからではない。その体験の、誰かとの共有を求めたのだ。子が母と同じものを見たがるように。 人は、国境を越え、あるいは人間と動物の壁をさらには人と無生物の境を跨ぎ、越境していく。しかしそれは単に人が他なるものになるだけでなく、人はその体験を他者と共有したいと望むのだ。 それが人間の愛のあり方だと思う。愛というよりも人間の性かもしれない。 ウクライナでまたパレスチナで戦争が起き、憎悪の波が世界中を襲うようにも思われる今日、こうした思いを持つことはあまりにナイーヴなものだろうか。むしろそうした時代だからこそ、愛に基づく越境を試みる人間の有り様を信じたいと思う。
千葉一幹(大東文化大学教授・文芸評論家)