【怒髪天・増子直純 連載】兄貴分から"ため"になるお言葉を頂戴する対談コラム。ゲスト:SION
怒髪天・増子直純が、人生の兄貴分・先輩方に教えを乞い、ためになるお言葉を頂戴する『音楽と人』の連載「後輩ノススメ!~オセー・テ・パイセン♥~」。その〈補講編〉として、誌面に収まりきらなかったパイセン方のありがたいお話をWebにて公開していきます。 第6回のゲストは、ミュージシャンとしても、男としても増子直純が憧れ、敬愛するシンガーソングライターのSION。人生の先輩として還暦を超えて感じたリアルな思い、そして、ミュージシャンとして、男として大切にすべきものとは。
自分ができることを一生懸命やるしかない
ーーおふたりの出会いは、いつ頃になるんですか? 増子「SIONさんに初めて会ったのは……新井薬師の居酒屋だったのかな。もう20年近く前だね。昔っから仲のいいヤスオ(雷矢/ヴォーカル)がいつも行ってる店によくSIONさんが来てるっていうのは聞いてて、そこに連れて行かれた時に会ったんだけど、『ほんとにいる!』って思ったよね(笑)」 SION「その店の向かいの雑居ビルに住んでたからね。それからだいぶ経って、怒髪天とBRAHMANとかと名古屋のイベントで一緒になってね。俺、人のライヴは滅多に観ないんだけど、怒髪天とBRAHMANは観てさ。で、『怒髪天の曲ほとんど聴いたことないけど、ライヴ、カッコいいな』って言ったら、『自分ができることを一生懸命やるしかないじゃないですか。それだけですよ』って言われて。俺キュン!と来ちゃったもん(笑)」 増子「あはははは。でもほんと自分の持ってるカードで勝負していくしかないじゃないですか」 SION「ほんとそうだよな。それでイベントが終わってさ、楽屋のぞいたら掃除してるのよ、増子が。だから『おまえ、すごい立派なことできるんじゃん!』って言ったら、『いやいや、お世話になってるライヴハウスですし』とか言ってて。それ聞いて、またまた俺キュン!だよ(笑)」 ーー増子さんにキュンキュンしたわけですね(笑)。 増子「A型なんで、キチンと原状復帰しないと気がすまないんですよ、シラフの時は(笑)。でもその時、『おまえ偉いな!』ってSIONさんが頭ポンポンってしてくれたんだけど、シルバーのゴツいリングしててたから、痛いのなんのって(笑)。ゲンコ張られたかと思ったもん」 ーーくくくくく。 増子「でもSIONさんの音源聴いた時は衝撃だったもんな。もともとトム・ウェイツとかすごい好きで聴いてたんだけど、やっぱり英語だし、日本人の自分には、ちょっとわからない感覚もあってさ。でもSIONさんを聴いて、もし俺が英語わかって向こうに住んでたら、こういう感覚になれるんだっていうのを教えてくれたんだよね」 ーー日本にもトム・ウェイツのようなアーティストがいたぞ、と。 増子「そう。それでSIONさんが札幌にライヴに来た時、もちろん観に行ったんだけど、そのあとシャッター閉まってる地下鉄の入り口で寝てたっていう目撃情報がいっぱいあって。それもなんかカッコいいと思って、呑み行ったら家に帰らないでシャッター前で寝たほうがいいんじゃないかって思って」 ーー真似してみたと(笑)。 増子「そうそう。でもこれはちょっと違うなって思ったけど(笑)」 SION「当たり前だろ。そんなの全然カッコよくなんかないよ(笑)」 増子「でもほんと憧れて。音楽的にもそうだし、男の生き様じゃないけど、そういうものが歌詞からも感じて、すげえ沁みるというかさ。ほんと俺の周り、みんなSIONさん大好きですから」 ーーそれこそ怒髪天やBRAHMAN世代のミュージシャンには、SIONさんを敬愛してる方が多いですよね。 増子「そりゃそうでしょうよ」 SION「みんな気ぃ遣って、そう言ってくれてるだけよ」 増子「いやいやいや、みんな大好きですし、影響もすごく受けてる。でも誰もマネできないところにいて、SIONさんみたいな曲は絶対作れないのよ」 ーー音楽には、作り手自身がダイレクトに出るところもありますからね。 増子「そうなんだよ。だからこそ絶対マネできないのよ」 SION「でも増子はバンドだけど、自分しか唄えないものを書いてるでしょ。いいんだよ、それで。あと、こいつのすごいところは、メンバーとか周りにいる大事なヤツが、何かやりたいとか言ったら頑張るところでさ。前に武道館やるってなった時も、全国いろいろ廻ってただろ。あと、選挙カーみたいなのに乗ってなかったっけ?」 ーー武道館をやる1年前に、宣伝カーに乗って都内各所を廻ってましたね。それが今から約10年前。 SION「やっぱそれって、そこにたどり着きたいための努力なわけじゃん。何かを成し遂げるために力を抜かない。そういうのは、まったく俺にはないところでさ。俺は成し遂げたいと思わないから、ずっとゆっくりやってる(笑)。おまえすごいんだよ、そこが」 増子「いやいやいや。でも俺自身は、〈いつか武道館やりたい〉って一度も思ったことなくて。でも、メンバーがやりたいって言うんでね。やっぱり自分が北海道から東京まで連れてきちゃったのもあるし、あいつらがやりたいって言ったら、じゃあ俺が骨を折るかっていうぐらいの話ですよ。俺も、ただバンドでライヴやって、借金しない生活ができればいいんで」 SION「俺も、絶対に借金だけは嫌だね。金がなくて買えなきゃ買わなきゃいいじゃんって思う。俺の知り合いとか家族もそうだったけど、どんどん買うんだよ。平気で家を建てたり、ハーレー買ったり。別にいいんだよ、自分の金で買うんだったら。だけど人に金借りてまで買う必要はないんだよな。それこそ俺、たいがい長いこと音楽やってるけど、今年63で、やっと部屋にエアコンつけたんだぞ!(笑)」 増子「あははは。やっぱ借金はメンタルにきますからねえ」 SION「そうだよな。何事も、自分の責任の範疇でやってくんねえと」 増子「こうやって話していても思うけど、SIONさんって、若い頃もカッコよかったけど、今のほうがさらにカッコいいんだよね。若い頃、〈関係ねえよ〉〈知らねえよ〉ってやるだけじゃなく、いろいろと抱えてきたものがあって、それが今どんどん滲み出てきてるというかさ。やっぱりこういう歳の重ね方をしたいなって思うなぁ」 SION「そんないいもんじゃねえよ(笑)」 増子「しかもこうやって知り合ってからも、絶妙な距離感で接して続けてくれるというか、変にベタベタして優しい感じじゃなくてね。そこも粋だし、もう本気で憧れるんだよなぁ」 SION「やめてよ。本当に俺はろくなことしてないんだから。これは最近歌にしたんだけど、むしろ俺は許されてきたんだよ。TOSHI-LOWじゃないけど(笑)、俺も昔から先輩を散々に呼び捨てにしたり、初めて会った人でもムカついたら殴っちゃったりもしてきたしさ(笑)」 増子「敬語はさておき(笑)、俺も人のこと言えない感じではありますけど」 SION「だろ? 若い頃はさ、絶対嫌なことはやんねぇってツッパねてさ。だから取材も行かない、テレビも出ない。あれだけデビューしたかったのに、中坊の時とかデビューしたら取材してほしいとか思ってたのに、それも嫌になる。人間ってなんてわがままなのかしら、って思ったのでした(笑)」 増子「時代的にも、メジャーデビューするってことがカッコ悪いみたいなのがありましたしね」 SION「当時あっただろ? 魂を売るじゃないけど」 増子「そうそう。だから絶対嫌だと思ってました。インディーズでやろうと思ってたんですけど、メンバーが……(笑)」 SION「おまえ、なんか都合よくメンバー使ってない? 俺みたいじゃん(笑)。最近リハーサルで、『俺はいいんだけど一彦(藤井一彦/THE GROOVERS)がしんどいって言うから、今日はこんぐらいにしとこうか』ってよく言ってるから(笑)」 ーーあはははは。 SION「だから本当に、俺はここまで許されてきたんだよ。若い頃はさ、『いい加減大人なんだから』とか言われても、〈知らねえよ!〉ってすごい肩肘張っていたわけだけど。でも60過ぎて、最近思うのは、まだまだガキンチョなんだなってことでさ。いつまで経っても大人になんかなれないんだよ」 増子「それはマジで思います。物理的に入れ物が古くなるだけで、中身は全然変わらないというか。バンドやって、オモチャ買ってゲームして……10代の頃からやってること、何も変わってないから、マジで(笑)。でも歳を重ねてくると、自分の生活が変わっていくように、物の考え方というか、作るものが変わっていくんだなっていうのは思いますよ。若い頃だったら絶対作らなかったような曲をけっこう作ってるもん」 SION「そうだな。俺もさ、デビューしてすぐの頃は、潰れかけたスナックの裏に住んでたからそれを唄ってたけど、潰れかけたスナックの裏にはもう住んでないわけよ。だったら、今の俺は今の俺で新しい歌を書けばいい。そう思ってるよ。だからさ、ギターを持って新しいメロディを書いて歌詞をそこに乗せて。そしてそれを喜んでくれる人が少しでもいれば、俺は、もうそれでいい。それこそ最初の増子の言葉に戻るんだよ。『自分ができることを一生懸命やるしかない。それだけですよ』って。ほんとそれだよ。これ、名言だろ?(笑)」
平林道子(音楽と人)