90分のアニメを200人で1年かけて作っていた時代に、30分のアニメを年間52本作ろうとした手塚治虫。「日本初のテレビアニメは鉄腕アトムではなかった」
アニメ大国 建国紀 1963-1973 #1
日本の一大産業である、テレビアニメ。いまや老若男女を魅了するこの巨大エンタメカルチャーには、さまざまな思惑や利権がからみ、テレビ・出版界の野心に憑かれた人びとの熾烈で常軌を逸した行動をも喚起した。それらが生み出したものは何だったのか。 【関連書籍】アニメ大国 建国紀 1963-1973 テレビアニメを築いた先駆者たち
1963年『鉄腕アトム』に始まるテレビアニメ黎明期を、話題の『アニメ大国 建国紀 1963-1973テレビアニメを築いた先駆者たち』から紐解く。
不可能な数字
手塚治虫のアトムシリーズ第1作となる『アトム大使』は、光文社の「少年」1951年4月号から連載が始まった。まだ「SF」という言葉になじみがないので、「長編科学冒険漫画」と銘打たれていた。 舞台は「50年後の東京」、つまり21世紀初頭という未来だ。当初は具体的な年月日は特定されていないが、後に2003年4月7日にアトムは誕生したことになる。いずれにしろ、1950年代の子どもにとっては、遠い未来だった。 天才科学者・天馬博士はひとり息子のトビオを交通事故で亡くし、その子そっくりのロボットを作った。しかしロボットなので成長しないことで憎むようになり、サーカスに売り飛ばしてしまったという設定だ。『アトム大使』でのアトムは、地球とそっくりの天体から来た地球人そっくりの宇宙人と、地球人との交渉役として活躍した。 『アトム大使』は単独の作品のつもりで描かれていたが、アトムの人気が出てきたので、52年4月号から『鉄腕アトム』として、改めて連載が始まった。以後、数回でひとつの第5章『鉄腕アトム』革命前夜──エピソードが完結する形式で、連載が続いていた。1962年の時点で12年目になる。 アトムは外見は10歳くらいの男の子で、7つの力が備わっていた。 ①電子頭脳はどんな計算も1秒で正解を出せる。 ②ジェット推進器で空を自在に飛べる。 ③耳の力を1000倍にまでできる。 ④世界60か国語(100か国語、160か国語の設定もある)で会話ができ宇宙人とも話せる。 ⑤暗がりでは目がサーチライトとなる。 ⑥10万馬力のパワー。 ⑦お尻からはマシンガンを発射できる──この7つの力を駆使して、アトムはさまざまな事件を解決し、さまざまな敵と闘ってきた。 そのアトムの活躍ぶりを動く絵にして、テレビで見せるのだ。子どもたちが喜ばないはずがない。