現役続行を決めた45歳の葛西紀明は2022年北京五輪に出場可能なのか?
欧州各地に遠征していても日課となっている朝早くのランニングに出かけ、体のリズムを作っていくのはいつものこと。5時半から6時には起床し、4、5キロを走って、ストレッチを行い、朝食を摂る。だが、あるとき、教え子の女子ジャンパー、伊藤有希(23)が自分よりも早起きしてランニングしていた。葛西が宿舎を出ようとすると、ちょうど戻ってくる伊藤と出くわした。伊藤は葛西を見習ったものだが、当のレジェンドは驚き、感心すると同時に「負けてはいられない」と、20歳も年下の教え子にライバル心が燃え上がったという。このモチベーションが葛西の支えである。 スポーツ界の宿命ともいえる世代交代もジャンプチームのケースは少し違っている。世界を転戦するジャンプでは、各国の特徴あるジャンプ台を飛ぶ経験が不可欠。加えて他国の強豪チームがプレッシャーをかけてくる。若手の勢いだけでは対処が難しい。そこにレジェンド葛西がいると、日本の若手選手は安心して競技に打ち込めるのだ。そんなチームの守り神、葛西さんなのである。 当初、平昌五輪への代表チームを20代の選手で固めようという動きもあったが、葛西は実力で、その座を守った。結果、バラエティに富んだメンバー構成となった。今回の五輪でトップの記録を持ち、団体戦の4番手を務めた小林陵侑(土屋ホーム)は21歳、中堅30歳を超えた伊東大貴(雪印メグミルク)や、竹内択(北野建設)も負けまいと頑張ろうとする。それらが日本チームの力になっている。 また今回のモチベーションとして、北海道から妻・怜奈さんと2歳になる愛娘・璃乃(りの)ちゃん、姉・紀子さんが現地入りし会場で応援してくれた。 「家族にジャンプを見せてあげたかったんです」 その願いはかなったが、メダルを見せることはできなかった。 「まだまだ、とことん飛び続けなさいということ」。そう葛西は捉えた。
ノルウェー中部の港町トロンハイム市では、毎年、ジャンプのW杯が行われるが、以前、取材中に、こんなことがあった。内陸部にある会場まで駅前のタクシーに乗り込んだところ、ジャンプ取材だと気がついた中年の運転手が、私に、こう話しかけてきたのである。 「同じ年の葛西が懸命に飛んでいる。わたしは葛西に頑張れって背中を押されている気がしてきて。すごいよ、彼からいつも元気をもらっている」 仕事で疲れ果てた自分に励みを与えてくれる。と、目を輝かせながらそう言ってきた。 葛西は世界中の人に希望と夢を与え続けている。 旗手を務めた開会式で堂々と日の丸を振りかざした。もはや葛西は日本だけでなく世界のスキースポーツの象徴である。最多8度の五輪出場を海外のメディアもこぞって特集を組んでクローズアップした。 人々の心をつかむのは年齢や最多出場の記録だけでない、ジャンプが大好きで、飛びたいから飛ぶ。そして人知れぬ努力。その姿が人々の心を打つ。 ベテランが重宝される競技性はあるが、もし北京五輪までの間に、それ相当の成績が出なくなれば、おのずと代表にはなれない。実力主義である。まずは国内選考を勝ち抜かねばならない。 高校生ジャンパーにも有力選手が目白押しである。小林の末弟である小林龍尚、竹花大松、二階堂蓮らが、葛西の座を狙う。今回、五輪の公式トレーニングで他の4人と記録を争い、出場枠を勝ちとった。その緊迫感がたまらない。その刺激とそういうシビアな瞬間に身をゆだねる喜びを葛西はつねに感じている。 ジャンプをこよなく愛するからこそ、いつまでも努力を重ねて飛び続ける ── 。 (文責・岩瀬孝文/国際スキージャーナリスト)