ラグビー日本代表・松田力也選手インタビュー「W杯の活躍の陰に信頼できる人の存在があった」
「明日の私をMAKEしよう」をテーマに、各界の話題の人にインタビュー。今回は、2023年私たちに大きな感動を与えてくれた、ラグビーワールドカップ2023フランス大会で最も活躍した日本人選手のひとり、松田力也氏にインタビュー。W杯への想いや次なる目標についても語っていただいた。 【写真】ラグビー日本代表・松田力也選手
●埼玉パナソニックワイルドナイツ・松田 力也さん 1994年5月3日生まれ。京都府出身。JAPAN RUGBY LEAGUE ONE「埼玉パナソニックワイルドナイツ」所属。6歳からラグビーを始め、伏見工業高校、帝京大学を経て埼玉パナソニックワイルドナイツに加入。2019年、2023年にワールドカップ日本代表に選出される。
4年前の悔しさを糧にたどり着いた最高の舞台
日本中を沸かせたW杯。惜しくも決勝トーナメント進出は逃したものの、全4試合を戦った日本代表の司令塔、SO(スタンドオフ)の松田力也選手。ビッグイベントを終えた今の心境とは……。 「日本で開催された2019年のW杯ではチームは史上初のベスト8進出。その嬉しさはあっても、自分自身はその全5試合がベンチスタートだったため、悔しさが強かったです。正直、やり切ったという感覚は持てませんでした。その想いを含めて、厳しいトレーニングをこなし、タフな4年間を過ごしてきた中で、この1年は特にすごく手応えを感じられていました。その中でW杯フランス大会を迎えることができたのは幸運でした。また、2度目の出場ということもあり、落ち着いて最高の舞台を楽しめましたし、自分自身の成長を実感できた大会だったと思います。ただ、チームが描いたところまで勝ち進むことができなかった悔しさが残るので、それは次へのエネルギーにしたいと思っています」
W杯の活躍の陰に信頼できる人の存在があった
W杯での活躍は世界に“松田力也”の名を轟かせた。プレースキック(グラウンドにボールを置き、静止させてキックを行い、H型のゴールバーの上方を通過させて得点するプレー)は、20本中19本を決め、成功率は驚異の95%を叩き出した。しかし、この4年間の道のりは決して平坦なものではなかった。W杯を1年後に控えた2022年、リーグワンの試合中に負った膝の大怪我(左膝の前十字靭帯断裂)は、ラグビーファンの間でも大きな衝撃となっていた。 「怪我をした時は、日本代表としても背番号10での出場が増え出した時期での出来事でしたので、わっ! このタイミングでこんな怪我をするか!? という気持ちの落ち込みがあったのは事実です。それでも、2023年のW杯は自分の大きな目標だったので、ブレずに前向きに復帰を目指しました。強い気持ちで、モチベーションを維持し続けることができたのは、トレーナー・佐藤義人さんの存在が本当に大きかったです。彼の『怪我をする前よりももっと強くなって戻す!』この言葉を信じて、自分が今できることをやっていきました。W杯直線まで、なかなか決まらなかったキックをW杯本番で戻せたのも、実は佐藤さんのアドバイスがきっかけだったんです」 冷静さ、そして判断力と集中力を要するSO(スタンドオフ)というポジション。W杯と言う大舞台でのあのパフォーマンスはどのようにして生まれたのだろう。 「集中しようとすると、逆に空回りしてしまいがち。ですから自分は、無心で平常心でいるように心がけています。そのためには、準備が必要です。それがプレッシャーの中でやる普段の練習です。練習は嘘をつかない。それを続けてきたので、ゲームでは落ち着いてプレーすることができました。ポジション的に冷静になることだけでなく広い視野で周りを見ることも大切なので、集中しすぎるよりは、少し余裕があるくらいの柔軟性とマインドが必要なんだということをここ数年で学びました。その方が自分らしくプレーできる気がします。もちろん、日本代表の10番を背負うことにプレッシャーがないわけではありませんが、これまで悔しい思いをしてきたからこそ、拘ってきた10番のユニフォームを着ることができる喜びを噛み締め、楽しくプレーすることが大切だと考えられたことがパフォーマンスに繋がったのだと思います」 撮影/柴田フミコ 取材・文/靏田由香 企画・編集/福島美歩(MAQUIA ONLINE)