零戦が再び日本の空を舞う 試験飛行にかける実業家の思いとは
零戦は日本のものづくりの原点
それでも里帰りを実現させる目的は、第二次世界大戦世代から平成生まれの若い世代にいたる多くの人々に、初心に帰ったり、あるいは何かを思い、明日を考えるきっかけを与えたいという気持ちがあるためだという。 石塚氏の零戦は、2014年9月に横浜港から入国、2015年4月に鹿屋航空基地に移された。その後、飛行申請に時間を要し、今年1月15日に飛行許可を得た。「私が生まれた日本という国、より多くの人々に明治維新からの近代の歩みを知って頂き、一人一人の日本人に日本人としての誇りをもって頂きたい」。 零戦の維持管理には年間2000~3000万円の費用がかかるという。ここまでの道のりを振り返り、石塚氏は「何度も機体の売却をして楽になりたいという思いはありましたが、それ以上に、零戦を日本に里帰りさせることで、より多くの人に日本の近代の歩みを知ってもらい、日本人としての誇りと先人への感謝の心を持ってほしい、という思いが勝りました」と語る。 「敗戦後、日本の航空機産業の技術者は、ほとんどが自動車やその他の製造業の分野に移っていきました。たとえば、日本の自動車産業が世界の市場を制したのも、それが背景にあるからだと考えています」と力を込める。活動を支える「零戦里帰りプロジェクト」のサイトで、零戦を「日本のものづくりの原点」と位置づけているのはそのためだ。 試験飛行までわずかに迫った。石塚氏は「今回、国内初フライトにこぎつけましたが、これでやっとスタートラインに立ったという気持ちです。零戦の国内動態保存をする為にはより多くの支援と多くの皆様の理解が必要です。ここからまた新しい道が始まります」と語った。 試験飛行の予備日は28日、29日。飛行当日は一般の人の基地内への立ち入りは禁止となっている。 (取材・文 具志堅浩二)