『インサイド・ヘッド』なぜ“カナシミ”は必要なのか? イマジネーション豊かな“頭の中”
誰もが共感できるストーリー
本作の監督であるピート・ドクターは、『トイ・ストーリー』(1995年)などで原案を務め、『モンスターズ・インク』(2001年)で長編監督デビューを果たした。その後、アカデミー賞を受賞した『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009年)や『ソウルフル・ワールド』(2020年)を監督し、『私ときどきレッサーパンダ』(2022年)や『マイ・エレメント』(2023年)では製作総指揮として携わるなど、ピクサー設立当初から現在に至るまで同スタジオの作品になくてはならない人物であり、現在はチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めている。 『インサイド・ヘッド』では、彼は監督のほかに原案、脚本も担当し、自身の娘が11歳だった頃の経験を活かしたという。主人公であるヨロコビはライリーの親のような役割も持っており、ライリーが成長して変わってしまうことを恐れているのだ。 誰にでも「感情」はあり、私たちは日々さまざまなことを感じながら生きている。そんななかで、『インサイド・ヘッド』の物語の中心になるのは「“カナシミ”は必要か?」ということだ。ヨロコビとカナシミが司令部の外へ吸い出されてしまったあと、そこに残ったのはビビリ(恐れ)、ムカムカ(不快)、イカリ(怒り)だった。これらはほかの2つの感情に比べて、動物の本能に近い部分がある。引っ越しをきっかけに不安定になったライリーは、より人間らしい感情を失ってしまうのだ。映画冒頭、司令部のリーダーであるヨロコビは、「カナシミの役割はわからない」と言っている。しかし彼女はカナシミとともに冒険するうちに、その役割に気づいていく。それはきっと、誰にでも経験があるような出来事で、感情は複雑なものだということを再確認させられる。 イマジネーションを刺激する楽しい「頭の中」の世界や美しい映像、そして誰もが共感できるストーリーによって、私たちに気付きを与えてくれる『インサイド・ヘッド』。子どもも楽しめる世界観はもちろん、大人の心にも訴えかけるストーリーの巧みさも持つ、ピクサーらしい作品だ。感情たちの冒険を通して、自分に向き合う時間を持つことができるだろう。
瀧川かおり