哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエルの倫理資本主義論を聴いて考えたこと
哲学界のロックスター、マルクス・ガブリエル氏が去る8月28日、東京大学で講演を行った。ガブリエル氏といえば、6月に発売された『倫理的資本主義の時代』(ハヤカワ新書)が好評のドイツの哲学者。AERA dot.でも以前、本書に関するコラムを執筆した小説家・榎本憲男さんが、講演会をもとに再び資本主義論を展開する。 * * * ■「資本主義は倫理的でなければならない」 去る8月28日(水)哲学者マルクス・ガブリエルが、 「なぜいま、倫理資本主義なのか」という題で講演をおこなった。著書『倫理的資本主義の時代』の刊行を記念しての来日のようだ。本書について、ここで短いコラムを書いたこともあり、なにより、「哲学界のロックスター」を一目みたいというミーハーな気持ちも手伝って、東大の安田講堂まで出かけていった。 第一部はマルクス・ガブリエル氏の講演。第二部は、本講演会の主催者であるインデックスグループの代表植村公一氏の司会のもとで(経済人なのにと言っては失礼だが、実に上手なとりまとめで感心した)、哲学者の中島隆博氏と文化人類学者の小川さやか氏を招いてディスカッションがおこなわれた。以下、この講演会の模様を素描し、僕の感想をつけ加える。ただし、録音が禁じられていたため、メモを頼りにしたレポートであること、またマルクス・ガブリエル氏の講演は、同時通訳をレシーバーからイヤフォンで聴いて理解したことをお断りしておく。
では、倫理とはなにか。倫理を哲学的に突き詰めた哲学者としてはカントが有名だが、第二部で、中国哲学を専門とする中島隆博氏が、カントの試みは失敗したと語り、孟子のエピソードを紹介した。おそらくほとんどの人が聞いたことのある、人は井戸に落ちる子供を見ればなんの計算もなく助けてしまう話である。この、“惻隠の情”のようなボトムアップ型倫理こそが必要で、“民の富”という視点から資本主義を再考すべきでないか、という提言をおこなった。僕にとって興味深いのは、『貨幣論』で有名な経済学者の岩井克人氏が、持続可能な資本主義が可能をカント哲学に見出していることである。いちど両者の主張をじっくり考えてみたいところだ。 ■巨大企業が利益を優先して社会を壊す行為は「新しい全体主義」 それはともかく、かつてマルクス主義者は、資本主義の死と社会主義の誕生を告げる鐘としては、経済恐慌を想定していた。しかし現在、資本主義に激しく警鐘を鳴らしているのは、環境問題と格差問題だろう。つまり、資本主義の問題は経済的なものから倫理的なものにシフトしていると言ってよい。なので、資本主義よ、倫理的であれ(倫理に還れ)、というマルクス・ガブリエルのメッセージは説得力があり、これに異を唱える者は(資本主義を見限った者以外は)いないと思われる。マルクス・ガブリエル氏は、企業が持続的に利益を得るためには倫理的でなければならないと説き、巨大企業が利益を優先して社会を壊すのを新しい全体主義として批判しようとしている。 しかし、倫理的でない企業は生き延びられないだろうという氏の予想は、楽観的に過ぎないだろうかと首をかしげる人もいるだろう。けれど、本会には質疑応答の時間が設けられていなかったから、その疑問は宙づりにされた。ほかにも聞いてみたいことがたくさんあったのですこし残念に思っていると、小川さやか氏が、僕が発したかった質問のひとつ(そしておそらく会場にいた多くの人も)をしてくれた。「(資本主義が本質的に倫理的であるとしたら)なぜ、倫理的でない資本主義がかくも暴走しているのでしょう(大意)」