部屋の窓から顔を出し大声で叫ぶ…記者を驚愕させた、”伝説のストリッパー”が取った衝撃の「行動」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第114回 『「ここまで落ちるとは思いませんでした」...糖尿病を患い仕事もできなくなった“元・伝説のストリッパー”が語った凄惨な「近況」』より続く
解放会館へ、再び
それから2週間後、私は解放会館を再訪した。 JR大阪環状線に乗って新今宮で降りた。この街の景色は変わらない。ニッカボッカ姿の男性が布鞄をぶら下げ、歩いていく。仕事からの帰りのようだ。コインランドリーをのぞくと、男性2人が椅子に腰掛け、黙って『少年ジャンプ』を読んでいた。 急な階段を3階まで上り、302号をノックする。この日も返事はない。しばらく待ってゆっくりと扉を開けた。一条が横になり、小さく口を開け、仰向けで眠っている。 彼女は当時、朝早く起床していた。散歩をした後、昼ごろまで屋台でビールを飲み、自宅に戻って昼寝をする習慣があった。私はちょうどそんな時間に訪ねたのだ。
一条が語りはじめた過去
「一条さん、一条さん」 2回続けて呼ぶと、彼女はびっくりしたように眼を開け、ゆっくりと身体を起こして、こちらを見た。きょとんとしている。すぐに事態が飲み込めたようだ。 「あっ、入ってください」 笑みを浮かべた。 小さな玄関に靴を脱ぎ、部屋に入る。真ん中のこたつの上にはプラスチック製の器(丼鉢)が無造作に置かれ、フォークがつっこんだままになっている。容器の内側にはうっすらとカレーのルーが残っていた。私がそれを見ているのに気付いたのだろう。一条は言った。 「なんやしらん、カレーが食べたくなったので、カレーうどんを食べたんよ」 横のゴミ箱には、容器のふたが捨てられ、「どん兵衛 カレーうどん」と書かれてあった。 私はこの日、踊り子時代の経験を聴きたかった。 「どんないきさつで踊るようになったんですか」 「きっかけいうのはね、池田清二から入ったんかな。親方のところに連れていかれて、ちょっと見にいこうと言われて。美空ひばりさんが出た劇場(横浜国際劇場)ですわ」 池田は当時の夫である。彼女は、「池田」「お父さん」など、さまざまな呼び方をするが、このときはフルネームで呼んだ。一条の本名は最後まで「池田」だった。 「そこ(横浜国際劇場)へ連れていかれた。池田はそことか、静岡市の劇場、そして名古屋の開慶座、あっちこっち行っとったみたい。仲間が興行の世界にいたみたいやね」 一条の話はあちこちに飛ぶため、こちらで言葉を補わないとわかりにくい。 「裸になるとは聞いていたんですか?」 「伊勢丹の喫茶店で言われた。びっくりしてね」 ストリップの世界に入るようになったのは、夫から言われたためだと彼女は繰り返した。のちにそれは嘘だとわかるのだが、当時の私はインタビューしながら、彼女の言葉を信じるしかなかった。
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