センバツ2023 城東 創部27年 苦難の連続 初代主将ら現役激励 /徳島
◇練習場確保に奔走/部員不足を克服…… 第95回記念選抜高校野球大会に21世紀枠で出場する城東(徳島)は、女子マネジャーを含め部員13人の精鋭で最後の調整に励む。1996年の創部初年度は約10人が退部するなど苦難の連続。危機を乗り越えた先輩たちの努力が花開いた。 初代主将は当時3年生で軟式野球部だった平田誠人さん(44)。中学時代に控え投手として四国大会優勝を経験した。当時の入学試験は学力に応じて絞られた学校の中から抽選で入学先が決まる総合選抜制度。硬式野球部のある城南高校への進学を希望したが、抽選で城東に入学した。甲子園への気持ちが忘れられず、入学当時から校長に「硬式野球部を作ってほしい」と直談判したが、手狭なグラウンドや経費などを理由に断られた。 転機は95年4月。赴任した新校長は平田さんの熱意に動かされ、自転車で20分の吉野川河川敷グラウンドを使えないか管理者の徳島市と交渉。使用が認められ、冬に硬式野球部の発足が決まった。 96年4月の発足時は物珍しさや甲子園への憧れもあって、軟式からの転部組10人を含め計30人が入部した。だが、河川敷グラウンドは雑草が茂ってデコボコ。黒土を入れトンボでならす作業に明け暮れた。初代監督は強豪の鳴門第一(現鳴門渦潮)から転勤してきた天羽博昭監督。「県大会で1勝」を合言葉に励まし合った。 学校の校庭でも他部の部員が帰ったあとに練習した。軟式時代の練習から質、量ともに増え「野球漬け」の毎日。厳しさに耐えられず夏までに1、2年生10人が退部した。 創部4カ月で臨んだ7月21日の夏の徳島大会は選手19人となったが、相手を11―2で降し悲願の初勝利を挙げた。夏に3年生7人が引退し、退部者も出て秋の県大会は11人で出場した。逆境にめげない新設野球部は関心を呼び、2年目の春に1年生が約30人入部。廃部の危機を乗り越え硬式野球部の歴史がつながった。 今年2月11日、平田さんは創部時の仲間たちと現役部員の練習場所を訪れ、森本凱斗(かいと)主将(2年)ら初めて面会した。平田さんが「支えてもらった全ての関係者への恩返しの気持ちが皆さんの見えない力を引き出してくれるはずです。甲子園では笑顔で頑張ってください」と激励。森本主将は「野球部があるのは先輩方が作ってくださったから。全力でプレーします」と誓った。 創部から27年。甲子園の試合前練習で女子マネジャーの永野悠菜さん(2年)がノックをするという新たな歴史にも挑もうとしている。創部時の初代女子マネジャー日根通世さんは「私の頃はバットを持とうと思わなかった。永野さんに頑張ってほしい」とエールを送る。【山本芳博】