【今週はこれを読め! ミステリー編】どんどんよくなるワシントン・ポー・シリーズ~M・W・クレイヴン『ボタニストの殺人』
M・W・クレイヴンは出るたびによくなっていく。 新作『ボタニストの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫。訳者・版元は以下同)のことを書き忘れていたので改めて取り上げる次第。八月発売でちょっと遅いのだが、シリーズものの新作としてはアンソニー・ホロヴィッツ『死はすぐそばに』(山田蘭訳/創元推理文庫。以下同)と並ぶ必読書なので、例外としてお許しを。 本作の主人公は国家犯罪対策庁重大犯罪分析課の部長刑事、ワシントン・ポーである。平たく言うと、難しくて面倒くさい事件全般が担当だ。彼に同僚たちと、病理学者のエステル・ドイルが協力して事件を解決していくというのがシリーズの基本設定になっている。そのことだけ知っていれば、とりあえず前の作品は読まなくてもいい。一作ごとに独立した内容になっているからだ。 2022年10月のこの欄で、クレイヴンは第三作『キュレーターの殺人』で大化けしたと書いたが、その後も失速せずに勢いを保っている。第四作『グレイラットの殺人』を経て第五作の本書は、スリラーの定石に則った展開でページをめくるのが楽しくなる出来だ。クレイヴン作品では、ジェフリー・ディーヴァーあたりから多用されるようになった、短い章立てでどんどん話題を切り替えていく筆法が採られている。短いのでコクはないが、退屈しない賑やかさがある。今回は初めて上下巻になったが、それも無理はないというような詰め込み方で、二つの事件が同時進行で描かれていくのである。 一つは、自然由来の毒を使うことからボタニスト(植物学者)と呼ばれる謎の人物による連続殺人だ。最初の犠牲者は女性差別主義者のジャーナリストで、生放送のトーク番組出演中にいきなり倒れ、救急車で搬送されるも病院で死んでしまう。次は野生動物狩猟の愛好者であり、イギリスにおける銃規制緩和をもくろむ国会議員で、通報を受けて警察が護衛体制を敷いていたにもかかわらず、入浴中に死亡する。死因はテトロドトキシン、フグ毒である。次から次にボタニストらしき人物から対象に殺害をほのめかすメッセージが送られてきて、受け取った者はことごとく死んでしまう。警察がしっかり監視している中での殺害だから、密室事件と言っていい。 この犠牲者が現代的というか、多くの人に社会悪だと見なされかねない人物なのが小説の工夫である。KRCと自称するカレン・ロイヤル=クロスは筋金入りの陰謀論者で、移民問題から国民の注意を逸らすために政府、というかディープ・ステートは銃撃事件をでっちあげる、と言い放つような人物だ。そのご高説を聞かされたポーは「本当にこの女の身を守らなきゃいけないのか、ボス」「どうしようもないばかだぞ」と嘆く。こうして、いやいやながら任務に就き、という形を作ることで被害者への思い入れを弱め、物語を軽くしているわけである。推進力を高めるため、物語の贅肉は可能な限り排除されている。 もう一つの事件は、ポーが絶大な信頼を寄せているエステル・ドイルに関するものだ。自宅でエステルの父エルシッドが射殺され、彼女が容疑者として逮捕されてしまう。手先から銃を撃った後の痕跡である硝煙反応が見つかっているため、容疑は極めて濃い。しかも、事件当時家の周りは雪で閉ざされていて、誰かが他に出入りした形跡はなかった。これではエステルは疑われても仕方ない。相棒の危機を知らされたポーは、ボタニスト事件捜査を擱いて、事件の起きたノーサンバーランド州に急行する。捜査権の侵害行為だから地元警察からはいい顔をされないし、後々の禍根となってくるのである。 こうした具合に二つの事件は並行する。ボタニスト事件のほうは放っておけばどんどん犠牲者が出るだろうし、ドイルも救わなければならない。しかも両方とも密室の謎を解く必要があるという難題つきだ。これに立ち向かう主人公がかっこよく見えるのは当然で、ポーは精彩漲る筆致で描かれている。現在のところ、シリーズの最高傑作はやはり『キュレーターの殺人』だと思うが、娯楽小説としての読み味は本書が上だろう。ここからシリーズを読み始めても一向に問題ないというのは、それも理由である。 感心するのは、最初から最後まで読者を驚かせ、楽しませるように書かれている点だ。結末は、あと数ページで話は終わりそうだから、と油断しているともう一押しが待っているし、冒頭のただならないことが起きている感じもたまらない。西表島でトレッキングを楽しむ一行がとんでもないものを目撃するという日本の読者には嬉しい場面から始まるのだ。この冒頭が意味することがずっと後まで明かされないという遅延の技巧により、話は謎めいた雰囲気を湛えたまま進むことになる。上下巻で800ページ近いが、このとおり娯楽に徹した作風なので長さはまったく問題ない。楽しく読み進められるはずである。 上で言及したので、ホロヴィッツ『死はすぐそばに』についても軽く触れておきたい。元刑事で、現在はロンドン警視庁の顧問となっているダニエル・ホーソーンが探偵役を務めるシリーズの、こちらも第五作だ。 このシリーズは、ホームズ&ワトスンに代表される探偵・助手コンビの現代版になっている。ホーソーンの活躍を助手が実話小説としてまとめて出版する、という形なのだ。おもしろいのは、その助手がアンソニー・ホロヴィッツ自身であることである。作中のホロヴィッツは、ヤングアダルト小説やドラマ脚本で認められたが、まだまだ作家としての認知度が低いことに内心不満を持っている、器の小さい人物として描かれる。ホーソーンとのコンビも、自尊心から最初は乗り気ではなかったのである。だが書いた本は売れてしまった。もしかするとホロヴィッツ単体の作品よりも。 ホーソーン&ホロヴィッツの著作は出版社から好評で、複数冊契約を結べたようである。それ自体はいいことだが面倒なこともある。第三作『殺しへのライン』では、ホーソーン&ホロヴィッツに文芸フェスティバルへの参加が指示された。従ったところ、案の定会場で殺人事件が起きてしまったのだ。そんな特殊な事態はそうそうないだろうが、契約したからには出版予定の期限までに原稿を書く義務が生じる。だが、肝腎の事件が起きないのである。ホーソーンの探偵としての活躍を小説にまとめることがホロヴィッツの仕事だから、何も起きないのでは手の出しようがない。困り切ってホーソーンに、過去の事件で小説にできそうなものの捜査記録を出してくれ、と要求するところから今回の話は始まる。 ホーソーンはなぜか記録を出すのを嫌がる。応じてくれたのはいいが、肝腎の結末は教えられないと言うのである。知らずに書けるわけがない、と抗議するとこう答える。 「[......]あんたが必要な情報は、すべて渡す----分割してね。あんたが二、三章ほど書く。それを、おれが読む。そして、その部分について、ふたりで話しあうんだ。あんたが何かまちがった方向に行きかけていたら、おれが正しい道に引きもどす。つまり----ほら、よく言うだろう----事実確認というやつだよ」 要するにミステリーを書く作者の後ろに全能の神みたいな存在がいて、そこは違うぞこりゃこうじゃよ、と指示するというわけである。そんなの書けるか、と言いつつもホロヴィッツは書きました、というのが『死はすぐそばに』。設定だけでもおもしろいのはわかると思うので、こちらもぜひお試しを。 (杉江松恋)