枝雀兄さん「最高の落語」を今も いただいた独特の教え「噺家は羊飼いといっしょや」 話の肖像画 落語家・桂文枝<20>
《桂枝雀(しじゃく)(1939~99年)は上方の古典落語に大胆なアレンジを加えて爆笑を呼び、一世を風靡(ふうび)した。文枝さんの4歳上。一門は違うが、いろんなことを教わり、かわいがってもらった〝兄さん〟だった》 僕が入門したころは、2歳上に、(桂)春蝶(しゅんちょう)さん(※先代)、その2つ上が枝雀さん(※当時は、桂小米(こよね))、さらにその2つ上に(笑福亭)仁鶴(にかく)さんがいてくれて、ホントに良かった。今や(皆が亡くなって)そういう状況にないから、すごく寂しいですねぇ。 枝雀兄さんという人は、落語の歴史が400年あったとして「唯一無二」の存在だった、と僕は思う。あれだけ落語が好きで勉強をし、稽古をし、のめり込んだ人はいません。とにかく四六時(しろくじ)中、落語のことばかり。サラリーマンが会社へ出勤するみたいに朝、公園へ行って、夕方までずっとネタを繰(く)っている(※稽古をしている)。酒を飲みに行っても落語のことが頭から離れない。テレビ番組でディレクターから説明を受けているときも(ネタの稽古を)ブツブツ、ブツブツ(苦笑)。 僕には「噺(はなし)家は羊飼いといっしょや。ちょっと目を離すと、羊(※ひとつひとつのネタ)はどっかいってしまうから、しっかり捕まえとかなアカン」と独特の言い方で、教えてくれました。今になればこの「教え」はよく分かりますねぇ。僕も300以上の噺をつくりましたから〝管理〟が大変なんです。新しい噺をやるよりも、前の噺をもう一度やるときの方がずっと難しいんですよ。 《2人とも、当時の落語家としては珍しかった大学へ行った(※枝雀は神戸大、文枝は関西大)。(落語の)二人会をやったり、一緒にテレビ番組をもったりしたが、どうにも理解を超えてしまう部分が…》 (枝雀の)自宅へ遊びに行ってびっくりしたことがあるんですけど、テレビで自分が演じた落語を聴(き)きながら、自分で大笑いしている写真が飾ってある。僕の場合は、お客さんを〝笑わそう〟とは思っても、自分で自分の落語を聴いて笑うということはありませんから。 これは僕の想像ですが、枝雀兄さんは「自分の落語」が大好きで、自分を〝もう一人の噺家〟としてみていた。そして、常に「その自分を超えてゆこう」と努力されていたように思います。そのためにはずっと稽古を続けなくてはなりません。