黒柳徹子に解答を教えていた説があった「世界・ふしぎ発見!」 高い正答率の真相が明らかに
3月30日、『日立 世界ふしぎ発見!』(TBS)が最終回を迎えた。「ベストワン映像 一挙大公開スペシャル」と題して、これまでの放送を振り返る内容だった。 最後には2代目司会者の石井亮次にうながされて、初代司会者の草野仁が「それではまた不思議の世界でお会いしましょう。さようなら」とお決まりのフレーズを放ち、番組を締めくくった。 『ふしぎ発見』は1986年に始まり、実に38年も続いた長寿番組だった。1979年生まれの私にとっては、物心ついた頃からずっと放送されていた番組である。 この番組を初めて見たときのことはよく覚えている。子供心に「妙に静かな番組だな」と思った。当時放送されていたほかのバラエティ番組に比べて落ち着いた雰囲気があり、ゆったりとした時間が流れていた。ミステリーハンターが謎を追いかける海外ロケのVTRにも、独特の格調高さがあって、クイズ番組というよりはドキュメンタリー番組のようだった。番組中に流れる「この木なんの木 気になる木」というフレーズのCMソングも耳に残った。 あとから振り返ると、土曜夜9時に放送されていた『ふしぎ発見』の前の時間帯には、当時は超人気お笑い番組の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が放送されていた。かじりつくようにドタバタコメディの『加トケン』を見ていた男子小学生が、その後に流れる『ふしぎ発見』をたまたま目にして、落差に驚いたのは無理もない。 草野仁は2023年まで司会を務めており、回答者の1人である黒柳徹子は初回から出演していた。この2人は『ふしぎ発見』という番組を象徴するような存在だった。草野はどこか浮世離れしたたたずまいで、何事にも動じずに番組を進めていった。黒柳は誰よりも真面目にクイズに向き合っていた。番組のフォーマットには多少のマイナーチェンジが加えられているものの、大枠はほとんど変わらなかった。
昔から、年配の人が「民放は騒がしい番組ばっかりだから、家ではいつもNHKをつけている」と言うのをよく聞いた。自分が若い頃はそんなものかと思っていたが、今ではその気持ちもわかる。民放は営利企業だから良くも悪くも商業主義のところがある。いかなる手段をもってしても視聴者の首根っこをつかみ、テレビの前に釘付けにしなければいけない。そのためにあれこれと派手な演出が用いられたりする。 『ふしぎ発見』も民放の番組である以上、そのような原理原則のもとに作られているはずなのだが、一定のラインをはみ出して下品になりすぎることはなかった。いつも節度が守られていた。そういうところが長年にわたって多くの視聴者に愛されていた要因だろう。 この番組では、黒柳のクイズ正答率があまりにも高いことから「答えを事前に教えてもらっているのでは」という噂も流れた。だが、これは間違いだった。彼女はテーマだけを事前に聞いて、収録日までに関連資料を読み漁り、情報収集をしていた。それが正答率の高さにつながっていたのだという。 勉強熱心な黒柳は正しい「教養」のあり方を身をもって体現している。好奇心旺盛な彼女にとって学ぶことは純粋な楽しみであり、喜びだった。 TBSの看板番組だった『ふしぎ発見』は、そんな彼女が本気で向き合うに値するクイズ番組であり、清く正しい本物の教養バラエティ番組だった。レギュラー放送が終わってからも特番として番組は続くようなので、今後も末永く見守っていきたい。(お笑い評論家・ラリー遠田)
ラリー遠田