1万3千~4千年前、縄文時代草創期にはすでに富士山は信仰の対象だった!?
千居遺跡の時代から、さらに遡る縄文草創期の遺跡、大鹿窪遺跡の石の遺構についても内山博士は、千居遺跡のストーンサークルと同じ役割があったとの見方を示している。縄文中期になるとモンスーン気候となり梅雨が生まれ、その結果、6月の夏至に雨が降ることが多くなった。このため、5月末から8月初旬までの幅広い期間に富士山から昇る日の出が見られる場所に移動した、それが千居遺跡ではないかというのだ。 「富士山と太陽は結びついている。それは縄文時代からあった意識なのではないか」と内山博士。「富士山信仰としては富士講や修験道が有名だが、人が山を信仰するということは極めて根源的なこと。長いタイムスパンでとらえ、縄文時代にまで遡って考えていく必要があると思う」と話している。