名古屋の真ん中 2つの川を船でめぐって「水辺の街」再発見
名古屋市中心部を流れる「堀川」と「中川運河」を船でめぐるクルーズイベントが11月30日にあり、約60人の参加者が水上から街を再発見した。 主催したのは愛知県半田市の食品メーカー「ミツカン」グループ。「味ぽん」などの醸造酢づくりを祖業とする同社は水との関わりが深いため、1999年に「水の文化センター」を設立。水に関するさまざまな調査研究や啓発活動を展開し、2017年からは東京や名古屋で「発見!水の文化」と題した市民交流イベントを開いてきた。 今回は2020年5月に名古屋市で開催予定の「世界運河会議NAGOYA2020」のプレイベントも兼ね、名古屋を代表する2つの河川を船でめぐり、「ものづくりの街」を支えた川の役割を見直そうと一般から参加者を募集。午前は中川運河から堀川へ、午後は堀川から中川運河へという2つのツアーにそれぞれ約30人が集まり、2グループに分かれて2隻の屋形船に乗り込んだ。
名古屋城築城に合わせて開削が始まった堀川
堀川は名古屋城築城に合わせて1610年から開削が始まった人工の河川。丸の内や伏見といった名古屋の中心部を通り、名古屋港に注ぐ。午後のコースは「納屋橋」のたもとに設けられた乗船場を出発。2隻目の船内では地元の川や建築に詳しい川地正数さんがガイドを務めた。 ビルやマンションが立ち並ぶ市街地から、貯木場として栄えた白鳥地区、そして熱田神宮ともつながる「宮の渡し(七里の渡し)」などへ、岸辺の風景は刻々と変わる。川地さんは江戸時代から戦後までの時代の変化を解説しながら、「産業が変わって市民が川に目を向けなくなると汚れもひどくなった。その川をきれいにして、もう一度、役割を見直そうという動きがここ10年で出てきた」などと話した。
昭和初期に開通した中川運河
やがて川幅が広くなり、港の埋め立て地帯が見えてくる。通常の観光船は港で乗り降りすることになるが、今回は名古屋港水族館などを横目に見ながら、東から西に回り込んで一気に中川運河へ。入り口となる「通船門」では水門が閉じられ、水位が1メートルほど下がるのを待って運河に進入する。潮位が変化する港に対して、運河の水位は一定に保たれているため、こうした「水のエレベーター」で上下に移動する必要があるのだという。 中川運河は堀川の物流運搬を補うため、大正時代から自然河川を基に開削され、1930(昭和5)年に開通した。広い川幅の両岸に工場や倉庫が立ち並ぶ姿は殺風景にも見えるが、近年はその独特の雰囲気を観光資源として生かそうとアートイベントが開催されたり、カフェができたりしている。12月3日には運河周辺に本社のある「愛知ドビー」が、ヒット作のホーロー鍋をテーマにした複合施設「バーミキュラビレッジ」を運河沿いに正式オープンさせる。 参加者はこうした時代の変化なども感じながら約1時間半のクルーズを楽しみ、終点の名古屋駅南地区に到着。「知らない景色や歴史ばかりで新鮮だった」「もっと観光客に知ってもらいたい」などと感想を言いながら船を降りていた。 (関口威人/nameken)