1日の来客数を40倍に跳ね上げた驚きの価格設定、サイゼリヤの破壊的な安さを生んだ“全部逆”の発想とは?
国内外で1500以上の直営店を展開し、年間の来客数は2億人を超えるサイゼリヤ。創業者の正垣泰彦会長は、大学4年生だった1967年に小さな洋食屋を開業して以来、安くておいしい料理の提供を追求してきた。本連載では『一生学べる仕事力大全』(致知出版社)に収録されたインタビュー「最悪の時こそ最高である」から内容の一部を抜粋・再編集し、正垣氏の経営観と人生観を紹介する。 第2回は、洋食屋からイタリアンに転じ、「安くておいしい」を追求するきっかけとなった苦境と逆転の発想を振り返る。 ■ いかにして行列店へと生まれ変わったのか ――考え方が180度転換した。 正垣 再起に当たって、まず洋食屋からイタリア料理店に変更しました。なぜイタリア料理だったかというと、一つは商店街の中にイタリア料理の店がなかったから。同じジャンルの店を出すと相手に悪いでしょう。 もう一つは、ヨーロッパ各地を視察した際に、料理やワインの組み合わせが豊富で、楽しく食べるために順序や食べ方が決まっていて、健康にもよく、家庭料理のように毎日食べても飽きない。こんな素晴らしい料理は他にないと感動したんです。 これを日本に広めよう、みんなに食べさせてあげたいと思って始めたんですけど、それでもお客さんは全然来ない。あまりにも埒が明かないものだから、自分の考え方が間違っていると思って、全部逆に受け止めることにしたんです。つまり、立地は最高、お客さんも最高、料理は安くておいしいものを出しているんじゃなくて、高くてまずいものを出しているって。 ――お客さんが来ない原因を自分に求めたのですね。 正垣 そこから毎朝4時に誰よりも早く市場へ出掛け、高価で良質な食材を買ってきて、自分の給料を取らないでとにかく安く料理を提供しました。
――身銭を切ってお客さんのために尽くされた。 正垣 安くていいものっていうのは自分たちの犠牲によってしか出せないんですよ。それで最終的には7割引きにしたんです。そうしたら行列ができるようになって、1日28人だった来店客が一挙に600〜800人になりました。僅か17坪、38席の店ですから、とても1店舗では賄いきれなくなって、店舗数を増やしていったんです。それがチェーン展開の始まりでしたね。 また、せっかく八百屋さんとアサリ屋さんが下にいるんだから、そこの食材を使ってお客さんが喜ぶ商品をつくろうと。最初は「どうせ潰れるから」と思ったようで売ってくれなかったんですけど、何度も頼み込んで食材を仕入れ、野菜サラダとアサリのボンゴレをつくって安く提供したらトップ商品になった。そうすると、何が起きたかって言ったら、「この2階の店に行くとおいしいぞ」って自然と客引きをしてくれるようになったんです。 ――意地悪な相手が協力者に変わったのですね。 正垣 狭くて見えにくい階段も、お客さんが並ぶ時に雨に濡れなくて済むということで、最高の場所に変わりました。 3店舗になった頃にセントラルキッチンをつくり、下準備を済ませた食材を各店舗に自分で運んでいたんですが、せっかくの食材の質が劣化してしまうことに気づきました。運搬する間の「温度」「湿度」「経過時間」「振動」の四つが影響を与えることが分かり、最初は大手食品メーカーに掛け合って委託し、次第にそのメーカーの技術者をスカウトしてきて指導してもらいながら、自社の仕組みを構築していったんです。 周りにあるものは、自分がよりよくなるために存在しているわけですから、嫌なことも含めて全部活かせばいい。死中活ありですよ。 ――マイナスの条件をも活かす。 正垣 その経験が食材の生産から加工、運搬、貯蔵、商品開発までを一貫して手掛ける製造直販体制へと繋がっていきました。まだまだ道半ばですが、全国五か所とオーストラリアに工場を構え、福島県で100万坪ものサイゼリヤ農場を運営するなど、自分たちの責任で全部やることによって品質と経費をコントロールし、より安くおいしい料理をお客さんに提供できる。なおかつ、スタッフの平均賃金も高めることができる。そうすればフードサービス業の真の産業化に貢献できると考えています。