【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第16回「癒し」その4
大露羅にとって太ることは癒しだった
不慣れ、というのは妙な緊張感を伴います。 大相撲界も新型コロナウイルスの影響で令和2年夏場所が吹っ飛び、巡業もなく、丸々4カ月もポッカリと穴が開いてしまいました。 こんなことはおそらく初めてでしょう。力士たちも、感染を恐れてぶつかり稽古すらできない日が続き、先の見えない不安や、戸惑いできっと心は乱れに乱れ、疲れ果てたに違いありません。 もっとも、年に6回、過酷な優勝争いを繰り広げなければいけない力士たちだけに、心の癒し対策ならお手のもの。 力士たちはどうやって疲れた心を癒し、再生したか。そんなエピソードです。 ※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。 【連載 名力士ライバル列伝】旭富士 小錦 霧島の言葉「心を燃やした好敵手たち」・大関小錦前編 太ることが癒し 力士は、食べて体を大きくすることも稽古のひとつ。とはいえ、ここまで太ると恐怖だ。 平成30(2018)年秋場所前の健康診断で、序二段の大露羅(北の湖)が292・6キロを計測し、それまで自分が持っていた歴代最重量記録を更新した。他の追随を許さない新記録達成だ。 平成11年、コメディアンのポール牧さんの紹介でロシアから来日し、入門したときの体重が193キロだったから、19年かけて100キロ増量したことになる。師匠の北の湖親方にかわいがられ、入門したとき、 「(285キロの)小錦を超えてみろ。なんでも一番になった方がいいから」 と言われたそうで、寿司を250貫も平らげたり、焼き肉を50人前も食うなど、これまで残した大食い記録も数々。そんな努力の甲斐あって、平成29年にはついに小錦の記録を更新。さらに1年かけてもう4キロアップに成功した。体重計から降りた大露羅は、 「楽しい。(小錦を超えることは)無理だと思っていたけど、自然に超えた。もっと太って、永遠に残る記録を作りたい」 とにっこりしていた。 大露羅にとって太ることは癒しだったのだ。ただ、残念なことに次の秋場所限りで引退して故郷のロシアに帰国し、これ以上の記録更新とはならなかった。 その後、重りや丸太ん棒などを使ったトレーニングで減量し、100キロ減の190キロになったことを自らのツイッターで明かし、その様子が写真週刊誌に出ていた。今度は痩せることに癒しを見出したのだろうか。 月刊『相撲』令和2年7月号掲載
相撲編集部