「あさま山荘事件」を詳述した警察の「秘文書」存在 浮かぶ全容、門外不出の記録を記者に託した元幹部の思い
容疑者ごとの供述要旨から犯行時のイラストまで、捜査資料も大量に
長野県北佐久郡軽井沢町で連合赤軍メンバーが人質を取り、立てこもった1972(昭和47)年2月のあさま山荘事件。長野県警が現地警備やその後の捜査を詳述した冊子や写真アルバムを制作していたことが分かった。冊子は組織内部向けの「秘文書」。犯行現場の写真や見取り図、容疑者ごとの取り調べの概要や供述の要旨、仲間を拘束したり暴行を加えたりした時のイラストなど一般には見ることのできない情報を大量に掲載。28日で解決から52年となる事件の全容を後世に伝える貴重な史料だ。 【写真】鉄球で山荘の外壁を壊し放水する警察=1972年2月28日、軽井沢町
冒頭に「秘」の文字
冊子はB5判、632ページ。冒頭には「連合赤軍軽井沢事件」の題名や「秘」の文字がある。73年3月には完成したとみられ、編集を担当した長野県警警備2課は「編集後記」で「経験と教訓を忠実に記録として残し、今後におけるこの種事件の参考になれば」と趣旨を記している。 「連合赤軍事件の概要」「警備実施」「捜査」「捜査によって判明した連合赤軍の組織と活動実態」「反省・教訓」の全5編で構成。冒頭には写真70枚余を載せている。
山荘への放水や犯人の発砲を克明に記録
記述によると、事件解決まで県警は連日702~894人、県外からの応援を含めると同746~1648人を動員した。立てこもり犯による百数十発の発砲や、山荘への放水などの時刻や数量を明示。立てこもった一人で、殺人罪などに問われて93年に死刑が確定した坂口弘死刑囚(77)が2月28日の逮捕後に書いた手記の内容など、取り調べの様子も記録している。 冊子には1冊ずつ番号が付けられたとみられ、関係部署・機関で保管する目的で発行されたとみられる。元信濃毎日新聞記者の大西健文さん(72)=長野市=が2004年ごろに県警の元幹部(故人)から入手し、本社に寄贈した。この幹部は大西さんに「ここまで作り上げるのは相当な苦労があった」などと述懐したという。
証拠品は6000点、作成した写真は6万8000枚
立てこもり犯との攻防などを日本中が息をのんで見つめた事件。資料の収集、整理は、特別捜査本部の文書整理班などが当たったとみられる。押収した証拠品は約6千点、作成した写真はカラー、白黒合わせ6万8千枚余に上る。長野県警の総力を挙げて事件を乗り切り、膨大な情報を1年余りで克明にまとめ上げた心意気を伝えたかったのではないか―。大西さんは、言葉少なだった元幹部の胸中を推し量る。
「正当な形で活動を伝えてほしい」、警察の思い
大西さんはまた、県警の活動が後世に正当な形で伝えられてほしいとの思いがあった―とみる。事件当時、警察庁から現地に派遣された「特別幕僚」が1996年、手記を月刊誌に連載した。その中で事実と異なる点や県警を侮辱するような表現があるとして、編集人宛てに反論文の掲載を求める文書をしたためた元幹部もいた。2002年には、この手記を基にした映画が公開された。大西さんに冊子が託されたのは、それから程なくしてだった。 アルバムは長野県内の男性が数年前に県警の別の元幹部(故人)から入手。「連合赤軍軽井沢事件」と書かれ、130点超の写真を収録している。一部は冊子の掲載写真と共通している。