田中史朗 妻に「遺言」ラグビーW杯へ命がけの覚悟「もし俺が死んだら新しい、いい人見つけてな」
ラグビー元日本代表SHの田中史朗(39)=東葛=が24日、都内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。166センチ、75キロと小柄ながらタックルを恐れないプレーで日本をけん引し、W杯は2011年から3大会に出場。日本ラグビーの発展に大きく貢献した男は「限界を感じた」と、涙ながらに語った。今後は東葛でジュニア世代のコーチとして指導。将来は「日本代表ヘッドコーチをやってみたい」と高らかに宣言した。23年W杯でスポーツ報知評論家も務めた田中を、小河原俊哉記者が「労(ねぎら)う」。 【写真】田中史朗、元アスリートの美人妻を顔出し!夫婦ショット * * * 情熱の塊だ。相手が監督でもかみつく負けん気の強さに「小さな激辛唐辛子」と呼ばれ、23年W杯でスポーツ報知に特別寄稿した「桜戦記」でも、身内びいきの一切ない激辛評論を展開した。一方で情に厚く、涙もろいキャラについた異名は「すぐ泣く男」。日本ラグビー発展に尽力してきた愛称「フミさん」は、熱いエピソードにあふれた男だった。 歴史的3勝を挙げた15年W杯は妻に「遺言」を伝えて出発。元バドミントン選手の智美夫人も「本当なんですよ。『命がけで戦うから、もし俺が死んだら新しい、いい人見つけてな』と」。桜戦士の集大成、史上初8強入りの大活躍で170万人超の観客動員数を記録した19年W杯日本大会は、「やっと日本ラグビーの幕開けが見えた」と言っては所構わず号泣した。 両手指を突き立てた五郎丸ポーズがブームになったが、田中の代表戦前ルーチンは喉の奥に指を入れて、胃を空にして心身を研ぎ澄ます荒行。ロッカールームのトイレで、涙目で響かせた田中の「オエッ」に士気を高めたメンバーもいたと聞く。 19年10月20日は田中の最後のW杯となった南アフリカ戦。3―26で敗れ、4強に届かなかったが、この日は16年に死去した偉大な平尾誠二さん(享年53)の命日であり、田中の長女・愛真(えま)ちゃんの6歳の誕生日でもあった。「人生で一番忘れられない日であり日本ラグビーの文化が根づく第一歩になった日」と熱く語った田中の言葉が忘れられない。(16~19年ラグビー担当・小河原俊哉)
報知新聞社