化学兵器の爪痕残るシリア、市民「早く普通の生活を」…やっと口にできる「地獄のような」苦難の日々
その後、反体制派の戦闘員は撤退した。街を制圧した政権軍は遺体を隠し、あたり一帯に薬品をまくなどしていた。化学兵器の痕跡を隠そうとしていた可能性が高い。街は厳しい監視下に置かれ、あの日何があったのか話すことも許されない日々が続いた。
復興も進まず、廃虚と化した建物があちこちに残る。海外からの支援も政権が収奪していたとの見方が強い。ディジさんは「何年かかっても、かつての街の姿を取り戻したい」と語った。
攻撃200回超 市民1413人死亡
在英の民間団体「シリア人権ネットワーク」は今年8月、アサド政権による化学兵器を使った攻撃が2012年12月から200回以上に上り、市民1413人と戦闘員94人が死亡したとする報告書を公表した。
シリアは国際社会の批判をかわすため、13年10月に化学兵器の全廃を定めた化学兵器禁止条約に加盟し、全廃を宣言した。だが、化学兵器禁止機関(OPCW)に申告した保有量は虚偽で、全廃宣言後も化学兵器の使用を続けていたとされる。
OPCWは、塩素ガスやサリンなどが使用されたとみている。シリア暫定政権は、化学兵器の貯蔵庫とみられる場所を監視し、安全確保のため「国際機関と連携している」と強調する。