「自分で歩きよった。他の選手が支えてくれて…」中1で“骨肉腫”に罹った名門ボーイズ選手の話…闘病を支えた仲間たちとの「その後」
奈良県にある中学硬式野球チーム・生駒ボーイズ。例年全国大会で上位を争い、多くのプロ野球選手も輩出する名門である。2005年に創設されたチームの13期生はいま、大学4年生になっている。各々強豪大学で野球を続けるメンバーたちだが、実は彼らが中学生だったころ、チームではちょっとした「事件」が起きた。それは、あるメンバーに重篤な病気が発覚したこと。彼らはいかにしてその困難を受け止め、また今に活かしているのか。当時のメンバーたちに話を聞いた。<全3回の2回目/つづきを読む> 【写真】「令和の時代でも…ロン毛はひとりもいない!」奈良の強豪・生駒ボーイズの練習風景…慶大主将&関大主将も輩出&病を克服して学生コーチのメンバーも…「黄金世代」だった13期の選手たちの活躍も見る 音野峻也(たかや)は中学で4回、高校で1回の手術をしている。 中学時代に発症した骨肉腫のためだ。人工関節との相性で患部が化膿したこともあり、高校では大人用の関節に入れ替えた。 中学3年時の手術は、成長期になって人工関節が骨と合わなくなってきていて、その調整のためのものだった。 長い休養が取れる夏休みの手術が最善だったが、8月の全日本選手権とジャイアンツカップには間に合わないかもしれない。そのためには「もっと早く手術したい」と両親、医師に音野は訴えた。 「チームは予選に勝って東京の本大会に行く。自分も早く治してついていきたい」 チームが勝つことを信じていて、「その通りになった」と父の淳一は話す。 キャプテンの藤原太郎も予選の間に手術することを聞かされて、気合いを入れなおした。 「開会式に峻也を連れ行ける。一緒に行進できると。負けるわけにはいかない。ユニフォームをベンチに飾って試合をしました」
ジャイアンツカップ開会式で「歩かしてください」
音野は石田監督に「開会式で歩かしてください」と懇願した。 「自分で歩きよった。後ろで他の選手が支えてくれて」 連盟の役員には細かいことは伝えていなかったが、その場で足の病気のことを誰かが役員に話してくれた。 「退場も通常は駆け足ですが、走られへん。ゆっくりゆっくりでした。雨が降ってる開会式で忘れません」 その時の大田スタジアムの光景を思い出すとドラマのようでしたと父が言った。 それは藤原にとっても鮮明な記憶となった。 「峻也の歩幅に合わして歩いた。僕らも親たちもよくここまで復帰してくれたと感動してました」 入院中に見舞いに行くたびに車椅子の音野から、早くグラウンドに行きたいという思いが伝わっていた。 「峻也が頑張るからこっちも頑張る、こっちも頑張るから峻也も頑張る。峻也の分まで野球をやれてるのは全員がわかってましたし、言い方が難しいですが、峻也の頑張りがプラスになるというか。生駒ボーイズに入ってなかったら峻也と出会うこともなかった。いろんなことが重なった中学時代で、かけがえのない時間になってます」 淳一は音野の文句も泣き言も聞いたことがなかった。「よう、がんばってくれた」としみじみという。 「球拾いをするにも、ボールのところに行くのに他人より、倍の時間がかかる。でも、黙々とやりよる。それを周りの人も見守ってくれた」 石田監督は音野の野球に対する向き合い方を評価していた。 高校進学の面談の時に「立派にやってるじゃないですか。僕に任してくれませんか」と両親に持ち掛けた。
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