学園ドラマの〝母〟小山内美江子さん死去、94歳 『3年B組金八先生』の「腐ったミカン」名ゼリフ生んだ脚本家
TBS系ドラマ「3年B組金八先生」で知られる脚本家、小山内美江子(おさない・みえこ、本名・笹平美江子=ささひら・みえこ)さんが2日、老衰のため94歳で死去した。長男で俳優、利重剛(61)が10日、公式サイトで発表。葬儀・告別式は近親者で済ませた。武田鉄矢(75)、近藤真彦(59)ら〝金八ファミリー〟からは悲しみの声が相次いだ。 社会問題や世相を反映した学園ドラマの〝母〟として多くのスターを生み出したヒットメーカーが逝った。 長男の利重が自身のサイトで報告。故人の遺志で京都・常寂光寺にある女の碑(志縁廟)に納骨を予定しているとし、「やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います」と思いをはせた。 小山内さんは1962年にNHK「残りの幸福」で脚本家デビュー。NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」や大河ドラマ「徳川家康」「翔ぶが如く」など多くの作品をヒットに導いた。 出世作は79年にスタートしたTBS系「3年B組金八先生」シリーズ。中学生の妊娠・出産を扱った「15歳の母」や不良生徒を排除する「腐ったミカンの方程式」など世相を反映したエピソードで社会現象を巻き起こし、たのきんトリオや杉田かおる(59)、上戸彩(38)ら多くのスターを輩出した。 32年にわたる人気シリーズとなったが、2005年にがんに倒れ、第7シリーズ途中で降板。15年に心臓大動脈弁の手術をしてペースメーカー生活となり、18年に心不全で緊急入院。晩年はけがや病気との闘いだった。 一方、私生活では映画監督志望の男性と結婚したが、62年に利重の出産を機に離婚。以降はシングルマザーとして仕事と家庭を両立してきた。 希代の名脚本家は人々の心に多くの思い出を刻み、天国へ旅立った。 ■小山内美江子(おさない・みえこ) 本名・笹平美江子。1930(昭和5)年1月8日生まれ。横浜市出身。映画のスクリプター(記録係)を経て、62年にNHK「残りの幸福」で脚本家デビュー。代表作はTBS系「キイハンター」「アイフル大作戦」、NHK「十九歳」など多数。90年にヨルダンで湾岸戦争の難民救援活動をしたことを機に海外での慈善活動を開始。NPO法人「JHP・学校をつくる会」の代表を務め、カンボジアなどで学校の修復などに尽力した。