「国鉄」の悲惨すぎる大失敗...春闘を牽引した「労働組合」が圧勝した理由
労働組合に完敗
折しも沖縄の本土復帰を控えていた佐藤内閣は窮地に立たされた。そのせいで総裁の磯崎は1971年10月、国会で不当労働行為を陳謝し、生産性向上運動の中止を発表した。まさに国鉄の経営陣が労働組合に完敗した瞬間といえる。 勢いづいた国労や動労はこのマル生問題以降、経営の合理化に対するストライキを連発した。それがますます経営を圧迫した面は否めない。須田が補足説明する。 「労働組合がストライキをやるたび、とくに旅客のみならず貨物の輸送量がどんどん減っていきました。労働組合の争議による減収だけで、数百億円にのぼった年もあります。挙げ句、借入金の利子負担で首が回らなくなり、国鉄は経営破綻の危機に直面していきました。 国会でも『労働問題がひどいこんなところをいつまでも援助できない、ザルに水を入れているようなものだ』との意見が出る始末でした。国鉄は何も手を打っていないのではないか、と幹部が叩かれ、そうして最終的に国鉄再建監理委員会に改革が委ねられるわけです」 もっとも再建監理委員会が国鉄改革に乗り出すのは、もう少し先のことだ。 『内閣総理大臣の裏切り⁉...過去「最恐」の春闘を牽引した国労がハマった恐ろしすぎる「ワナ」』へ続く
森 功(ジャーナリスト)