【81歳で急逝】中尾彬さんが語っていた…生前に「夫婦のお墓」を作って感じた「意外な変化」
俳優の中尾彬さんが16日、心不全のため81歳で亡くなったことがわかった。 本誌記者は今年2月、中尾さんが取り組んでいた「生前整理」について取材していた。不忍池の近くにあるタワーマンション。取材時間になると、カーディガンにパンツ姿で住居スペースから現れた。その足取りはやや覚束ないように見受けられたが、声色に衰えは見られず、滑舌もよく、はきはきと力強い声で語るなど、その姿はテレビで見ていた「中尾彬」そのものだった。 【写真】中尾彬さんが奥さんと作った「生前墓」 中尾さんが語っていたこととは。 前編記事『沖縄のマンション、400本の“ねじねじ”も手放したが…生前整理を進めていた中尾彬さんが明かしていた「最後まで捨てられなかったもの」より続く。
本が手元にないとダメなんです
――ちなみに今はどんな本を読み返されているのですか? 「やはり開高さんの本ですね。情念が伝わってくる筆致、そして世界を見る目、今でも感心しきりです。毛沢東統治時代の中国の話など、今の時代に読むからこそ新鮮に感じるものも多い。 いやぁ、今の作家はなんだか軽いよね。本に当たらず、気軽に情報に当たれるようになったことが軽さにつながっているのではないかと思うこともあります。 そういう話はおいておいて、やはり私たちの世代は本ひとつに対しての思い入れが強いのではないかと思います。私自身、美術大学に入って初めてデザインしたのは活字なんですよ。切っても切れない縁があります。本が手元にないとダメなんですよ。 国内に2日間旅行に行くときはこの本を持っていこう、外国に旅行に行くときはこの本を持っていこう。そんなことをよく考えてしまうのです。 そもそも私たちの商売は活字から入る。中身はともかくとしてとりあえず本、終活を経ても、手元には本が残ってきていますね」
意外とつまらないものですよ
――そうして身軽になっていった中で、どのような変化があったのでしょうか。 「どうして、整理をしようと思ったのか、(男なら一度は別荘を持ってみたいと思って60歳のときに購入した)沖縄のマンションの話からさらにさかのぼると、やはり病気がきっかけだと思っています。入院し、死を考えるようになった。しかし、それで生還してきました。 朝目が覚めて窓を開けて、登ってきた太陽を見て『よしまた一日を頑張ろう』日に日にそう強く思うようになりました。そして、意外と今まで、様々なものを蒐集してきたけれど、意外と何もなくても良いのだなと思うようになったのです。 そのために、まずは余分なものをひとつずつ片付けていこうと思ったわけです。それで戸棚を見てみるとそもそも何が入っているかわからないことに気が付きました。それで、ひとつひとつ開けて整理してみる。すると意外といらないものが多い。 ひとつ片付けると次は隣の戸棚と気になり始めて。不思議なものですよね。ただ、片付けてみると、この部屋にはこの置物が合うのではないかと、新しいものが気になり始めたりもして。難しいところですよね。 こうしてものが減ってきて身軽になると、生活圏と言いますか目線が広がったように思うのです。振り返ってみると沖縄にマンションが、木更津にアトリエがあったときは『定期的に行かなければいけないもの』と思ってしまい、その存在が負担になっていたように思います。 一生懸命生きてきて、定年などを一区切りにして、違った世界を見てみたい。そういう夢は皆さんあるでしょうね。頑張ってきた勲章として、別荘が欲しくなる方もいるのでしょう。 でも、意外とやってみるとつまらないものですよ。体力的にも大変で通い続けられない。別荘を買ったりしたいのなら、若いうちに借金をしてでも買うべきだと思いますよ。 別荘などを手放し身軽になった今、日本人の季節感と言いますか、おいしいものの旬と言いますか、そうしたものを意識しながら、行きたいところにフラッといけるようになったのではないかと思います」