このままじゃ人類学はダメになる…破滅ギリギリまで追い詰められた人類学者たちがようやく見出した「本当の答え」
「内部」と「外部」
西洋近代以前・以外では、動物や植物、菌類などは人間とは見かけ(身体性)は異なりますが、怒ったり喜んだりするという「内面性(精神性)」を人間と共有していると考えられてきたのです。マルチスピーシーズ民族誌の担い手たちは環境危機に際して、人間を中心に置いて世界を捉え、働きかけようとする傲慢な姿勢に疑念を抱きます。人間は人間以外の他の存在者たちとの関係性の網の目から切り離されることはできないという考え方を示しながら、マルチスピーシーズ民族誌を進めるようになったのです。 こうした「人間以上の人類学」の動きは、「自民族(文化)中心主義」や「ヨーロッパ中心主義」の次に来る、新たな知の運動だと見ることができます。「人間以上の人類学」は、「人間中心主義」を問題視し、乗り越えていくためのアカデミックな努力なのです。人類学は今、人類を超えた「外部」から人間を眺め、探究を進める学知へと変容しつつあります。 この「外部」というのが、人類学にとって重要です。「外部」がなくなったら、その時、人類学はもはや人類学ではなくなってしまうと言っても過言ではありません。その意味で人類学とは、私たちにつねに「外部」を見せ、「外部」への想像力を掻き立てながら、人間について考えてきた学知だったのです。 逆に言えば、人間社会「内部」の断片に執拗なまでにこだわって、閉じこもってしまうような人類学は「死」です。 さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
奥野 克巳