三姉妹が温泉旅行で取っ組み合いの大げんか うっとうしくてめんどうくさい家族愛描く「お母さんが一緒」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は橋口亮輔監督の映画「お母さんが一緒」について。 【写真】うつろな表情の江口のりこ * * * 僕が小学生のときだ。夏休みになると決まって伯母たちが岡山・津山から上京してきた。 父の姉さんたちである。 お土産をどっさり抱えて「久しぶり~」と挨拶もそこそこに、「あ、始まっちゃったわ」と僕の母はくわばらくわばらと居間から消えてしまう。 「始まっちゃった」というのは小姑たちの諍(いさか)い。八十半ばを過ぎた母のケアを巡って、何もしないあんたが悪い、いやいや私だけのせいじゃないなどと口角泡を飛ばす様は、今思えば向田邦子の「阿修羅のごとく」における四姉妹の口喧嘩そのものだった。 耳を塞ぎたくなるほど壮絶だった。でも、恒例の騒動が終わると、一転仲良く、座布団を舞台に「こいこい!」と花札が始まる。いつの間にか母は戻って来て、一緒に盛り上がっていた。 父は姉たちの喧嘩にも花札にも仲間に入れてもらえなかった。両親に可愛がられたお坊ちゃんで、一人だけ旧制のナンバースクールに進学した末っ子は特別扱いで相手にされなかった。 劇作家で演出家のペヤンヌマキの舞台(下北沢ザ・スズナリ)をもとにした、橋口亮輔監督のホームドラマ「お母さんが一緒」を観て、そんな思い出が蘇った。
たまには親孝行をと母を温泉旅行に連れてきた三姉妹が旅館につくなり些細な喧嘩をはじめ、それが次第にエスカレート、互いを罵倒し合う修羅場になる……。 「母のような人生は送りたくない」と姉妹は不満げだが、その裏に親への愛情が隠されていて、観終わった後に、じわ~と、しんみりしてしまうのは橋口ワールドの真骨頂だった。 中でも長女・弥生を演じる江口のりこが出色だった。 「いちばん近い他人」である家族のリーダーとして勉学にも手を抜かず、まともな企業に就職、酸いも甘いも経験してきた長女なりの孤独とコンプレックスを好演。 「もう全然わからん! あんたたち、いつも勝手なことばっかりしよる!(九州弁)」といら立つが、彼女の倫理に深い家族愛を見た。 「うっとうしいとか、めんどうくさいとか思いながらも、やはり家族はかけがえのないもの」と橋口監督は話す。 できたら家族で観てほしい。容赦ない取っ組み合いの大げんかの演出は監督の家族愛のたまものだった。 (文・延江 浩) ※AERAオンライン限定記事
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