米英との開戦に沸く日本。国のために死ぬことが賛美された時局に、椋鳩十は愛と優しさに満ちた動物物語を書いた
自然界に生きる動物たちを通し、生命の尊さをたたえる名作を紡いだ鹿児島ゆかりの児童文学作家、椋鳩十(1905~87年)は今年、生誕120年を迎える。鹿児島県内や故郷の長野県喬木村では、業績を顕彰する企画展が開かれ、再評価が進む。戦後80年の節目に、戦時の厳しい言論統制下で書かれた作品を中心に、椋文学と戦争について考える。(連載「つなぐ命の賛歌~椋鳩十生誕120年戦後80年」②より) 女たちの奔放な性の表現が「不穏当」…鮮烈デビュー作は1週間で発禁処分に 椋鳩十の文学から「戦後80年」を考える
椋鳩十の代表作の一つ「大造じいさんとガン」の舞台は、鹿児島県湧水町・栗野岳の麓にある三日月池とされる。出水期は国の天然記念物・ノハナショウブが咲き誇ることで知られる。 先日訪れると、水気はなく枯れ草に覆われていた。老猟師とガンの群れの頭領「残雪」との知恵比べやふれ合いを描いた沼地の印象とは異なる。鹿児島大学非常勤講師の寺田仁志さん(71)は「雨水が地下水となって池の下に流れ込み、水量が増える梅雨時期は湿地になる」と説明する。枯れ草の下で命を育み、いつの間にか水を蓄え花を咲かすのだ。 「椋鳩十と戦争」(2024年)の著者多胡吉郎さん(68)は、永遠の生命のサイクルの象徴とし「大量殺りくが正当化され人が心を喪失した時代に、人間性の回復を願った椋の祈りの舞台として三日月池はどこよりもふさわしい」と指摘する。 ■ ■ 雑誌「少年倶楽部」の1941年11月号で発表された。同12月8日、日本は米ハワイ・真珠湾を突如攻撃する。同日マレー半島に上陸し、米英との戦争に踏み切った。大きな戦果が報じられ日本中が喜びに沸いた。
国のために死ぬことが賛美され、戦時下の緊張した時局に、椋は愛と優しさに満ちた動物物語を次々と発表した。戦後、その理由を「殺すこと、死ぬことが正義という考えがまかり通っていた時代。生きることがどんなに尊く、愛し合うということがどんなに美しいか、野生の動物をかりて、若い人々に語りかけたいと思った(一部要約)」(南日本新聞88年9月28日付)と話した言葉が椋研究第一人者のたかしよいち氏の寄稿連載にも残る。 老猟師は賢く、勇気を振り絞って仲間を助ける残雪を「えらぶつ」とみる。台頭する軍部に対してものが言えない時代。椋は物語の最後に出てくる「また堂々と戦おうじゃあないか」という老猟師の言葉について、「権力に立ち向かう英雄を待望する私の願いが込められていたんです」(「聞き書き・椋鳩十のすべて」)と振り返る。 ■ ■ 当時、加治木高等女学校の国語教師・久保田彦穂としての顔もあった。45年1月には軍事工場で勤労奉仕する生徒104人を、長崎県川棚まで引率。約3カ月間、ホームシックや空襲におびえる生徒に寄り添った。教え子の上野(旧姓・上平田)久子さん(96)=鹿児島市=は「先生の姿を目にしたり、特徴的な足音が聞こえたりすると安心できた。生徒の師であり、お父さんだった」と懐かしむ。
戦前・戦中にあっても、物語の動物を通じて命の大切さを説き、教師として生徒に愛情を注いだ。「大造じいさんとガン」は今なお小学5年生の教科書に掲載され、椋がちりばめた愛や勇気、優しさは、多くの子どもたちに読み継がれている。 ■大造じいさんとガン 霧島連山栗野岳の麓に広がる三日月池を舞台に、狩人の大造じいさんと、ガンの群れの頭領「残雪」の知恵比べを描いた作品。残雪はある日、ハヤブサに襲われた仲間を助けようとしてけがを負う。いつも残雪に悔しい思いをさせられていた大造じいさんだが、その姿に心を打たれ残雪を保護。傷が癒え飛び去る残雪に「また堂々と戦おう」と声をかけ見送るのだった。
南日本新聞 | 鹿児島
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