「何が何でも帰りたかった」兄弟は男4人で故郷には長男と次男…「そっち(関東)で頑張ってみれば」父の一言で帰郷断念するも幸せ築いて生きる~肉専門卸勤務・一戸郁哉のターニングポイント~
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。 第80回のストーリーは、鰺ヶ沢町出身の一戸郁哉さん。 【写真をみる】高校・大学は相撲の強豪校で過ごした一戸さん 現在、東京・葛飾区に本社がある肉専門卸「小島商店」で、主に商業施設や店などへの弁当の配送業務を行っている。 ■「すごく弱かった」幼少期に始めた“相撲”がきっかけに 東京へ進学 一戸さんの父親が地域の子どもたちに相撲を教えていたこともあり、兄弟も一戸さん自身も相撲をやらされていた。 一戸郁哉さん 「すごく弱かったんです、自分は。練習は、いつも泣き泣きやっていましたね」 高校は相撲の強い五所川原農林高校へ。畜産から勉強し、この頃から牛や豚などの畜産に詳しくなっていった。大学は、相撲部の先輩がいた日本大学に進学し、そこでも相撲部に入部した。 一戸郁哉さん 「日本大学に行けば、少しは頑張れるかなっていう感じがした。その前に高校の頃に合宿で東京に来ていたので、日本大学の合宿の雰囲気で慣れていたからね」 大学卒業後は、ふるさとの青森に帰るつもりだったが、父の一言で関東で就職することになる。 ■「何が何でも帰りたかった」でも長男も次男もいる…関東で生きる決意 一戸郁哉さん 「めちゃくちゃ帰りかったんですよ、僕は。何が何でも帰りたかったんですよ。最終的には、兄弟は男が4人だったので、父親に『青森には長男と次男がいるし、お前もそっち(関東で)で頑張ってみれば』と言われたから、“わかりました”って言わざるを得なかった」 厳格な父の言うとおり、千葉で就職した。それは、高校で畜産科だった経験が生かされた食肉業界。 一戸郁哉さん 「豚とか牛とかに抵抗感はなかった。学校の授業の実習でやっていたし、怖さもないし」 当時の会社で仕事を教えてくれたのは、偶然にも今働いている小島商店の会長だった。 一戸郁哉さん 「会長は、昔からそうだったんですけど、すごく人柄が良くて、変に駆け引きしない人だったんですよ。相当やっぱり知識も持っているし、やっぱり経験も積んでいるから、そういう即決ができるのかなって感じた」 結婚して、家族も増えた。仕事は忙しかったが、充実した生活を送っていた。そんな中、立て続けに両親との別れがあり、自身には病気が見つかる。