映画「波紋」 ―社会問題、日常の不安と不満をためた 女性が自ら解放する奇跡の瞬間を見よ!
もはやもう誰も癒やし系だなんて呼ぶことはあるまい。「かもめ食堂」や「めがね」など、どこかほっこりとした味わいが持ち味だった荻上直子監督がオリジナル脚本で紡いだ最新作「波紋」は、どす黒い毒がちりばめられたブラックユーモアたっぷりの野心作だ。ごく普通の主婦が、押し寄せるストレスの波にもまれてたどり着いた境地とは―。家族の事情に今日の日本を覆うさまざまな社会情勢が重なり合い、見る者の心にもきっと大きな波紋が及ぶに違いない。 物語の舞台は東京郊外の閑静な住宅地にたたずむ一戸建ての須藤家だ。東日本大震災による原発事故の余波がくすぶる中、平凡な主婦の依子は夫の父親の介護をしながら、代わり映えのしない毎日を送っていた。だがある日、夫の修が息子と義父を残して姿を消す。それから長い年月がたち、音信不通だった夫が突然、自宅に帰ってきた。自分はがんに侵されていて、高額な治療費を援助してほしいと懇願する夫を前にして、依子は心中穏やかではいられなかった。
夫が不在だった期間のことは一切描かれないが、依子の負担が並大抵のものではなかったということは、その後の描写でうかがえる。修がガーデニングに精を出していた庭は枯山水に変わり、依子は毎朝、大きな熊手を用いて砂利の波紋を丁寧に作る。部屋の壁の本棚を埋めるのは、依子が入信した新興宗教があがめる「緑命水」という水のボトルだ。 だったら今は達観しているのかと言えば、そうでもない。枯山水の庭に入り込んでくる隣家の猫にいらいらさせられ、パートで働くスーパーでは、不良品だと言いがかりをつけて半額を要求する客に悩まされている。そこに来ての身勝手な夫のご帰還だ。新興宗教のリーダーにはより高額な「緑命水」を勧められたり、遠く九州で就職した息子は耳の不自由な恋人を連れて帰ってきたりで、夫の歯ブラシで排水口を掃除するだけでは憂さは晴れない。確かに、女はつらいよ。
こんな中高年女性の不満と不安を、荻上監督は高齢者介護、放射能汚染、新興宗教、障害者差別といった現代日本に横たわる社会問題と絶妙に絡み合わせて、でも決して深刻に陥ることなく鮮やかに切り取る。演じる役者陣も、依子役の筒井真理子を筆頭に、夫の光石研、息子の磯村勇斗、さらに柄本明、木野花、キムラ緑子ら芸達者が、時にオーバーアクションを交えて独特の世界観を創出する。ラストにおける筒井の表現力と撮影の山本英夫のカメラワークは、奇跡の瞬間と言っていいくらいの神業だ。