永井荷風の小説が原案、パパ活でコロナ禍を生き抜く女性たち描く映画公開
永井荷風が1931年に発表した同名小説を原案に、さまざまな事情でパパ活をすることになった女性たちのリアルな青春を描く長編映画「つゆのあとさき」が、2024年に東京・ユーロスペースで公開される。 【画像】オーディションで抜擢された新人・高橋ユキノ 昭和初期の小説「つゆのあとさき」では東京・銀座のカフェを舞台に、自由奔放だがたくましく生きる女給の主人公と、彼女と関係を持つことになる軽薄な男たちの姿が描かれた。映画「つゆのあとさき」は小説の持つ普遍性を踏襲しながら、時代をコロナ禍の渋谷に置き換え、ドキュメンタリータッチの映像で“パパ活”という現代社会の病巣に切り込む。 監督は「テイクオーバーゾーン」「なん・なんだ」やオムニバス「DIVOC-12」の1編「YEN」を手がけた山嵜晋平。脚本は「花腐し」などで荒井晴彦と長年にわたり組んできた中野太のほか、鈴木理恵、山嵜が書き上げた。山嵜と中野は「なん・なんだ」以来のタッグとなる。 主要キャストはオーディションで選出。勤めていたキャバクラがコロナで閉店したため、出会い系喫茶でパパ活をすることになる主人公・琴音役には新人の高橋ユキノが選ばれ、学費のためにパパ活をしながら教師を目指す大学生・さくらを西野凪沙、ホストに貢ぐためにパパ活を続ける楓を吉田伶香が演じた。キャスト3人と山嵜、中野によるコメントは以下に掲載している。 ■ 高橋ユキノ コメント 今も、渋谷の街を歩く時にふとあの夏を思い出します 物語の主人公、「琴音」はどこにでもいる日本の女の子です 今日すれ違った人の中に、彼女たちがいたかもしれません 生きるということは、理不尽なことのほうが多い だけど どんなに存在がちっぽけだって、森を彷徨うような現状だって、 琴音は生きていきます。 これから、この映画と出会ってくれる皆さんに心からの感謝を込めて。 多くの人に「つゆのあとさき」が届きますように。 ■ 西野凪沙 コメント この東京の街で、日々を懸命に生き抜こうとする少女たちがいました。 誰もが抱いている閉塞感に押し潰されそうになりながらも、逞しく。 街は賑やかなのに、どうしてこんなにも独りぼっちなんだろう。 コロナ禍を経て、より大きく膨らんだこの不確かな喪失。 そんな、わたしたちを取り巻く世界に対しての希望があるとするならば、 やはりそれは人と人とがつながることで生まれるものなのだと、わたしは信じてやみません。 皆さんが観賞後にどういった感想を抱いてくださるのか。それがとても楽しみです。 最後になりましたが、山嵜監督をはじめ、主演の高橋ユキノちゃん、 そして共にこの映画を創ったすべての方々に感謝します。 ■ 吉田伶香 コメント 楓役を演じさせて頂きました吉田伶香です。 私達の知る日常とはかけ離れた生活が彼女達の日常であり、世間的に見れば痛々しく自堕落な生活の中でも 日々悩み苦しみ生きている姿がありました。 今この瞬間を関わってくれている家族友達を大切に生きようと思わせられる作品になっていると思います。 誰かの苦しみに寄り添い、背中を押せたら良いなと思います。 ■ 山嵜晋平(監督)コメント 永井荷風が昭和初期に書いた小説「つゆのあとさき」の背景にある時代性が、コロナ禍真っ只中の2022年と通じるものがあると思い、今の時代に舞台を移して映像化したいと強く感じました。自身の持つ「知力」「体力」「経験」「知識」、それだけでは足りず、「身体」そして「感情」さえも売り物にして、ある意味での「感情を殺して」自分と自分を切り離し生きていく女性が、絶対に生きていくという“強い意志”を、“昭和”と“令和”、時代は違えど感じてもらえれば幸いです。 今作の主役・琴音役の高橋さんを始めとした“パパ活”をする女性達役はオーディションに来ていただいた方に出演していただきました。「引かないで 受けないで 負けてはいけない 何があっても つらくても貴方たちは大事なところでは絶対に負けない 自分を強く持って」撮影中に高橋さんたちへ何度も伝えた言葉です。劇中、男性からの激しい言動を、何の防波堤を持たず受ける時に期せずして出てしまう、彼女たちの“素のリアクション”に対して、「こうあってほしい」、「気持ちを強く持ってほしい」と何度も伝えた言葉は、私が様々な境遇で生きている現実の若者達に対して常日頃、思っていることでもあり、そのまま今回の映画の根底にあるモノと考えています。 ■ 中野太(脚本)コメント 小説「つゆのあとさき」を一読し、主人公のキャラクターに惹かれた。「生まれついての浮気者」であり「小説でみられるような恋愛」をしたことがない彼女には嫉妬の感情がなく、男女のドロドロとした情念のセックスもしない。基本的に抱く(抱かれる)男の内面に興味はなく、ただ自身の快楽だけを大切にしている。承認欲求が希薄な快楽主義者の若い女性。対して彼女と絡む男たちは嫉妬、承認欲求、支配欲の塊で、これは今の男性たちとそう変わりはない。清岡を始めとして、男たちは彼女に執着するが、彼女はそんな男たちを手玉にとって軽やかに渡り歩いていく。自分の身体は自分のもので、他者に依存しないで生きる女性。だがそこには乾いた虚無感もある。昭和6年(1931年)に発表された小説で、そのような主人公を描くことは、倫理と道徳に価値を置きたがる現在に一石投じられるのではと思った。 プロデューサーの佐藤さんからは若い女性の貧困問題もやりたいと提案され、奨学金返済で苦しむ女子大生を主人公の相手として設定して、二人の友情物語ができないかと共作の鈴木理恵とプロットを作り、主に若い女性の会話を鈴木に書いてもらい、男たちは俺が書いた。途中、山嵜も面白いアイディアを出してくれて、文字通りの共作をしながら作った。それぞれのよさが生きる脚本になったと思う。二人を演じてくれた高橋ユキノさんと西野凪沙さんの佇まいが素晴らしい。 (c)2024BBB