自身のルーツ探して八戸市(青森県)へ 米国人テリーさん「最高の訪問」、祖母の親族と面会
祖母が青森県八戸市出身でオーストラリア在住の米国人看護師テリー・メドウスタさん(56)が今月上旬、自身のルーツを探して同市を初めて訪れ、親族たちと交流を深めた。祖母に関する情報提供を求めた9月の東奥日報の報道をきっかけに、親族に当たる同市の南則章(のりあき)さん(69)が名乗り出たことで世代や国を超えての対面が実現。テリーさんは「最高の訪問」、南さんは「感激した」と喜んだ。 テリーさんの祖母のテル子さんは戦後、三沢基地の建設に従事した米兵と結婚し、南家の実家でテリーさんの母レイコさんを出産。その後は家族とドイツや米国内を転々としたが、一度も日本に帰国しないまま2008年に亡くなった。 則章さんはテル子さんの弟徳太郎さん(故人)の長男で、今もテル子さんの実家に住む。徳太郎さんから米国に渡ったテル子さんについての話を聞かされたことはあったが、一度も会ったことはなく、詳しい消息は分からなかったという。 テリーさんがテル子さんに関する情報提供を求めているという話は、東奥日報の記事を読んだ知人から伝え聞き、日本側の窓口となっていた青森市国際交流協会の工藤朝彦会長に連絡して対面が実現した。 南家は親族十数人が参加してホームパーティーを開き、テリーさんと夫のアダム・ディケンソンさんを歓迎。長者山の麓にある南宗寺での南家の墓参りでは、テリーさんがテル子さんやレイコさんに代わって手を合わせ、涙ぐむ場面もあった。 対面した際、テリーさんはテル子さんとの思い出について、「ばっちゃん(テル子さん)の好物はキュウリの漬物で、日本食しか食べなかった」「日本の神道の言葉をよく口にしていた」と話し、自身が現在住んでいるタスマニア島の自然や産業についても親族たちに紹介した。 「2日間という短い滞在だったが、八戸が大好きになった」と振り返ったテリーさん。日本滞在中は東京、広島、京都、奈良など観光地を巡ったが、「最高の訪問地は南一家と会うことができた八戸だった」と語った。 則章さんも「(消息が)ずっと分からなかった自分の親族が外国からわざわざ会いに来てくれて、うれしかった」と感慨深げ。テリーさんの帰国後も交流サイト(SNS)を通じて写真のやりとりをしているといい、「交流を続けていければ」と話した。