「正義は人それぞれ」という考え方、じつは「すごく危険」だって気づいていますか…?
「正義」という言葉はどうにも扱いが難しい。言葉を使う人によって「正義」がもつニュアンスが違ったり、そのことによってすれ違いが起きたりするからだ。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 正義という言葉に関連して、いまの日本でしばしば耳にするのは、たとえば「正義の暴走」や「正義は人それぞれ」といった表現である。こうした表現は、「正義」という概念を厳密に考えてきた研究者の目には、どのように映るのか。 このほど『今を生きる思想 ジョン・ロールズ』を上梓した学習院大学教授の玉手慎太郎さんが、政治哲学から見た「正義」について、いくつかの角度から語る。
日本での「正義」のイメージ
――「正義の暴走」という言葉が使われているのをときどき見かけます。 たとえば、コロナ禍のさい飲食店などの営業自粛を求めて攻撃をおこなう「自粛警察」があらわれましたが、これは「正義の暴走である」と言われました。 政治哲学や倫理学をご専門とする玉手さんからは、「正義の暴走」という言葉はどのように見えますか。 玉手 「正義の暴走」という表現には、日本おいて「正義」という言葉がもつイメージやニュアンスが比較的よくあらわれているように思いました。 日本では「正義」という言葉には、「全面的に正しいこと」というイメージがつきまとうように思います。「正義の味方」「正義のヒーロー」のような言葉遣いが典型例ですね。 先ほど挙げてくださった「自粛警察」もそうです。「自分が全面的に正しい」と思っているような、やや独善的な行動をする人たちを指して、「正義の暴走」という表現を使っているわけですよね。 玉手 一方、西洋の「正義」は、たとえば英語で言えば"justice"で、「司法」と同じ単語です。そのことからもわかるように、西洋の「正義」は、対立している意見や利害を、苦渋の思いで調停することや、そのための基準というニュアンスを強く含むものと言えます。 いまNHKの朝ドラ『虎に翼』が放送されていますが、先日、離婚調停中の妻が夫から嫁入り道具を取り返そうとする裁判が描かれていました。当時の法律では妻の財産権を認めることは難しい。しかし状況を判断すると認めるほうが世間の理にはかなっている。裁判中、控え室にいる裁判官が、どのような判決をくだすか大いに悩み、葛藤するシーンがあります。 このように、対立の調停という意味での正義は、決してそれを行使していて気持ちの良いものではありません。悪者を倒してきれいさっぱり! というものではないのですね。自分は正義の味方だ、といって正義を行使したがる態度とは距離があります。そしてもちろん、自分は正義で相手は悪だから何をしても良い、というようなことではまったくありません。 ただし西洋にも、「正義の戦争」と言うときのように、「全面的な正しさ」が前に出た「正義」の用法もあります。ここでお話ししたいのは、葛藤に力点が置かれるような使い方もあるのに、そのことが日本ではあまり理解されていないかもしれない、ということです。 「正義の暴走」といった言葉遣いについて考えるさいには、こうした「正義」という言葉がもつニュアンスに分け入ってみると、理解が深まるかもしれません。