「時速5キロの乗り物」はなぜ生まれたか

当初、嶋田さんは電力会社らしくEV（電気自動車）に関わる新規ビジネスを考案するというミッションを与えられていた。だが、途中で行き詰まりを感じるようになる。 「事業化のハードルを超えられない状態が1、2年続きました。このままでは殻が破れないんじゃないかという感覚があった」（嶋田さん） 突破口となったのが、社員有志の動きだ。 嶋田さんが新規事業創出の難しさを痛感していたのと同時期に、社内では非公式に若手社員が主体となって新規事業創出を目指す「k-hack（ケイハック）」という団体が生まれていた。嶋田さんもそこへ参画。週末など業務外の時間も費やしながら社内外の人々と議論を重ねるうちに、次第にEVではなくモビリティの事業アイデアがまとまっていった。 「空間が人の思想に影響を与えると考え、できるだけオフィスから離れた場所でディスカッションするようにしました。その中で、好きな時に乗り降りができるモビリティが作れないだろうか？と思い付き、試作を重ねました」（嶋田さん） こうした経緯を経て、関西電力の子会社として事業化に至ったのがゲキダンイイノの低速モビリティ事業だ。 ゲキダンイイノが開発する時速5kmで自動走行する数人乗りの乗り物「iino」は、あえて歩行者と変わらない速度で移動することで移動中に会話を生んだり、街並みから気付きを得たりすることを意図した乗り物。大型の商業施設内や街づくりにおいて、回遊性を高める手段としての活用を想定している。 「今までの移動体はいかに遠くに速く行くかが重要でしたが、『遅くて近い領域』にもしかしたら便利以外の価値があるんじゃないかと気付きました」（嶋田さん） という。 例えば、宇都宮市の採石場跡地・大谷資料館で実施した実証実験では、「iino」に乗って館内をゆっくり移動しながらフレンチ料理を楽しむという20万円超の高級な観光体験のチケットが完売した。他にも、iinoを使った「動く茶室」や「動く日本酒バー」といった企画を実験し、好評を得た。 既に神戸市や横浜市など複数の都市で、30件に上る実証実験に取り組んだ。2025年をめどに実運用する計画だ。顧客は都市部の自治体や街づくりの事業者を想定し、2030年までに30地点で運用、売上高は数十億円規模を目指している。 一見、電力会社とは関係がなさそうに見える事業だが、iinoは電気で動く。移動手段というよりも街づくりに貢献するサービスであるため、グループ会社が手掛ける都市開発事業とのシナジーも生まれやすいという。 「関西電力グループとして街づくりを手掛けているからこそ、プロジェクトが立ち上がるタイミングからお声がけいただける。競合に比べた優位性の一つです」（嶋田さん）