【卓球】「ターニャおばさん」の快挙。57歳の曾志英がつかんだパリへの切符
パリオリンピック開幕時には58歳。61歳の倪夏蓮に次ぐ年長記録か
5月14~18日にペルー・リマで行われたパリ五輪シングルス・アメリカ大陸予選。男女4名ずつがパリ五輪のシングルスへの切符を手にしたこの大会で、女子のトーナメント3(第3代表決定戦)を制したのがチリ代表のヅォン・ジーインだ。 57歳での初のオリンピック出場は母国・チリでも話題となり、ガブリエル・ボリッチ大統領も公式Xで「Tremenda(素晴らしい)!」とコメントしたほど。チリでは「ターニャ(Tania)」というスパニッシュネームで知られる彼女は、一躍時の人となった。 ヅォン・ジーインの中国名は曾志英。1966年7月17日生まれの57歳で、パリオリンピックの開幕時には58歳。世界ランキング推薦でのオリンピック出場がほぼ確実な倪夏蓮(1963年7月4日生まれ)の61歳に次ぐ年長記録になりそうだ。 中国・河南省出身で9歳で卓球を始め、1980年に八一解放軍チームの一員となり、プロ選手としてプレーした曾志英。戦型は右シェーク両面裏ソフトのカット型。中国で同じ1966年生まれの選手となると、日本に帰化して2001年世界女子団体銅メダルに貢献した高田佳枝(樊建欣)、男子では世界選手権の団体戦で活躍したカットの王浩がいる。2歳下には陳静(88年ソウル五輪金メダリスト)・喬紅(89年世界女王)らの強豪がおり、曾志英は頭角を現すことはできないまま、1989年にチリに渡った。
30年の時を経て競技復帰、チリ代表として国際大会で活躍
チリに移住後も卓球は続けるつもりだったという曾志英だが、貿易商としての仕事や育児などで慌ただしく日々は流れ、再びラケットを握ったのはおよそ30年後の2019年。国内大会での活躍でナショナルチーム入りを果たした。2023年9月のパンアメリカ選手権では女子シングルスベスト8、同年11月にサンチアゴで行われたパンアメリカ競技大会では地元チリの3位入賞に貢献した。 バック面に粒高ラバーや表ソフトラバーを貼るカット型が多い中で、両面に裏ソフトを貼り、カットはガツンと切るよりもナックル主体。相手のミスを誘いながら、ストップを浮かせて両ハンドで反撃を仕掛ける。さすがに「軽やか」な動きとは言えないが、中国で培った基礎技術の高さとプレースタイルの希少性でパリへの切符をつかんだ。 ちなみに住んでいるのは首都サンチアゴではなく、そこから1800kmも離れた北部の街・イキケ。練習環境としても決して恵まれていないが、ヨーロッパで強化練習を行うなどしてカバーしている。 「南米はレベルが高くないから予選通過できた」と言って片付けてしまうには惜しい、あまりにドラマチックな曾志英の競技人生。「どんな物事も始めるのに遅すぎることはない」という彼女の言葉は重い。彼女が生まれた1966年7月17日、お隣の日本ではかの『ウルトラマン』の放映がスタートしているが、さしずめ彼女は「ウルトラウーマン ターニャ」といったところか。パリでも大観衆の声援を一身に集めそうだ。