「巨人入り決定的」報道も「惑わされることはなかった」DeNA編成トップに聞いた、悲願の筒香嘉智「復帰計画」が成就するまで
嬉し涙か豊穣の雨か――。 4月18日、横浜スタジアムで筒香嘉智の入団記者会見が開催された。冷たい小雨が降りしきる中、わずか2日前の開催告知だったにもかかわらず、集まったファンは約9600人。かつてハマスタで響き渡った筒香の応援歌が盛大に奏でられ、ファンは5シーズンぶりに帰ってきた“横浜の象徴”の言葉に耳を傾け、歓喜に沸いた。 【画像】「うわ! めっちゃ嬉しそう!」ハマスタに戻ってきて筒香の喜びあふれる表情&横浜から横浜へ、正統派ハマの大砲の歩みを見る
我々の想像を超える反響でした
筒香とともに会見に出席した横浜DeNAベイスターズチーム統括本部の本部長・萩原龍大氏は、あの日に見た光景を思い浮かべ感嘆しつつ語る。 「我々の想像を超える反響でした。うちは開幕前にスタジアムで必勝祈願を行うのですが、その時は大体3000~4000人のお客さまがいらっしゃいます。しかし筒香選手の会見にはその倍以上のお客さまに来ていただきました。また早い時間から来場する方々の行列ができ、開門時間を早めるなど、これはとんでもないことが起きているなと感じましたね」 筒香が日本に帰ってくること。それはDeNAのみならず、球界を揺るがす出来事だった。
空けていた25の背番号
2019年のオフに、10年間過ごしたベイスターズを離れ、ポスティングでアメリカへ渡った“ハマの大砲”。DeNAは敬意を表し背番号25を準永久欠番とし、三原一晃球団代表(当時)が「現役選手として日本に戻ってくるときには、我々に声をかけてほしい」と伝えてから約4年半、DeNAはつぶさに筒香の動向を追ってきたという。筒香の代理人であるジョエル・ウルフ氏を通じ、過去、日本に戻る意思はあるのか確認してきたというが、あくまでも筒香の考えを尊重し、強引なアプローチをすることはなかった。萩原氏は言う。
当初は静観も察知した風向きの変化
「筒香選手に絶対に戻ってきて欲しいという思いと熱意は、この4年間、球団としてブレたことは一度もありませんでした。筒香選手は会見で、最初は『日本に復帰するモチベーションが今ひとつ上がらなかった』と言っていましたが、最終的には横浜で優勝を目指すことを決断してくれました。我々としては筒香選手が自発的に日本でやろうと思える瞬間がこないかぎり、執拗にアプローチをするのは違うと思っていましたし、生き方や考えが尊重されてしかるべき選手だと認識していました」 静観を続けてきたが、そんな風向きが変わったのは、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツのキャンプにマイナー契約で招待選手として参加が決まった時だった。 「あくまでも推測ではありましたが、日本への復帰も頭の中にあるのではないかと感じ、キャンプ前から国際戦略担当に筒香選手をチェックするように伝えました。トレーニングやゲームを追ってコンディショニングは果たしてどうなのかをチェックする。MLBのキャンプ招待選手というのは、チームに残ることが非常に難しい立場でもあります。筒香選手がそのままチームに残れるのであれば、それはそれで素晴らしいこと。ただもし残れなかった時に、我々の準備ができていなかったでは話になりません。代理人にも何かあったらすぐに知らせて欲しい旨を伝え、球団として万全の状態で動向を見守っていました」 そして筒香は、腰の不調もあって実戦出場できないままマイナーに降格となり、自らオプトアウト(契約破棄)の権利を行使し、自由契約となった。
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